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倭文神社
しとりじんじゃ
鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
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式内社 伯耆國川村郡 倭文神社 |
鳥取県湯梨浜町(旧東郷町)にある。
松崎駅から北東に3Kmほどの宮内。
東郷湖の畔、御冠山の中腹に鎮座。
学生時代、山陰地方を旅行していた頃、
東郷温泉に宿泊し、湖の周りを歩いたことがある。
当時は、陽射しのキツイ夏で、汗だくになりながら
木陰を探して歩いていた。
その頃の、陽射しの『匂い』のようなものを思い出した。
今回の参拝は、春の終わり。
少しだけ桜が散り残っている頃の早朝。
日はまだ、完全に昇っておらず、境内も少し暗い。
鳥居・神門をくぐり、参道を歩くと、
右手に山中へ登る狭い階段がある。
その階段を登っていくと、枯葉の中に「経塚」。
銅経筒が埋められていた場所だが、
下照姫命の墳墓と考えられていた場所でもある。
発掘によって、経塚であると判明したのが、少しさびしい。
創祀年代は不詳。伯耆国一宮である。
経塚から発掘された康和五年(一一〇三)在銘の経筒に
「山陰道伯耆國河村東郷御坐一宮大明神」と見えている。
各地の倭文神社同様、主祭神は建葉槌命だが、
当社伝承には下照姫命のものが多く、
実際に、大正末までは、下照姫命が主祭神と思われていたらしい。
社伝では、下照姫命は、出雲から羽合町宇野の御着船され、
御冠山に登って、現在地に住居を定めたという。
御着船した宇野には、姫が化粧を直した「化粧水」や
「お腰掛岩」なども残っている。
というわけで、長期にわたり女神を祀る神社であった。
本殿の後方には、「乳神」とも呼ばれる、
樹齢600年の御神木があった。
現在は倒壊して、残骸が残っているような状態。
『式内社調査報告』では、
創祀当時は、当地の主産業であった織物の神として建葉槌命を祀り、
合わせて、下照姫命も祀られていたものが、
産業の変化により、織物の神である建葉槌命が忘れられ、
下照姫命だけが残ったのではないかと記されている。
下照姫命を祭神とする倭文神社が、岩手県遠野にも存在するが、
当社からの勧請だろうか。
当社へ至る参道の脇に、祠を載せた安産岩がある。
難産に苦しんでいた婦人の夢に、下照姫命が現れ、
その後、この岩の側で、安産をしたという伝説がある。
こんなところで産んでしまったのか、と、関係ないことを考えた。
参道 | 鳥居 | 伯耆一ノ宮倭文神社 |
神門 | 参道 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
本殿 |
安産岩 | 経塚 |
伯耆一ノ宮 倭文神社の栞
−『平成祭データ』− 国指定史跡 −昭和十年十二月二十四日指定− 伯耆一ノ宮経塚
−経塚案内− |