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出雲路幸神社
いずもじさいじんじゃ
島根県安来市西松井町88
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式内社 出雲國意宇郡 佐爲神社 |
能義神社の北西。
飯梨川をはさんで鎮座。
川堤から下って境内に入る。
創祀年代は不詳。
松井宮とも道祖神、出雲路幸神などとも称された神社。
式内社・佐爲神社の論社の一つ。
出雲国風土記にある「狭井社」であるという。
もとは、現社地の西北500mほどの「狭井原」にあったが、
いつの頃か、天神社鎮座の狭井山(現在地)に遷座し、
天神社を境内社としたらしい。
この天神社は、現在、佐為高守神社と名前は変更されており
式内社・佐為高守神社であり、
出雲国風土記記載の「狭井高守社」であるという。
紀州熊野庄司の娘弁吉女が当社に縁結びを祈願。
良縁を得て産まれた子が、武蔵坊弁慶であるという。
幸神社とは「塞神社」であり、道祖神。
京都にも、同名の出雲路幸神社というのがある。
道祖神はまた、男女の性愛に関する神でもあるのだ。
境内は狭いが、明るく、新しい印象。
神紋は、『神国島根』には「丸に並び矢」とあるが
本殿屋根には、「亀甲に矢」の紋が付いていた。
境内 |
鳥居 | 境内から参道。飯梨川の土手がある |
拝殿 |
式内社佐為高守神社 | 本殿 | 愛宕神社 |
社伝に佐爲神社創立年代不詳。中世以来社号を称へ
ないで、単に「道祖神」又は「出雲路幸神」或は「松井
宮」と称し、古社地は現在地を距る約五町ばかり西北の字
狹井原に在った。年代不詳であるが、天神社鎮座の
狹井山に遷座し、天神は母屋をとられたといふのが由緒の
語る所であり、(略)
−『式内社調査報告』− |
【 出雲路幸神社 (安来市) 】