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飯石神社
いいしじんじゃ
島根県雲南市三刀屋町多久和1065  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に石


「式内社調査報告」には
二重亀甲に剣花菱

式内社 出雲國飯石郡 飯石神社
旧県社

御祭神
伊毘志都幣命

飯石郡多久和にある。
斐伊川の支流、三刀屋川のさらに支流、飯石川沿いにある。
三刀屋から吉田へ抜ける細い道の側。
周囲は山々が連なり、谷間を流れる川に沿って参道がある。

南北に流れる川沿いにある社殿は西向き。
本殿はなく、幣殿後方、玉垣内の石を御神体とする。

式内社・飯石神社に比定されている古社。

当社の社名(祭神名)が、飯石郡の起源。
出雲国風土記には、以下の一文が記載されている。
「所以號飯石者、飯石郷中、伊毘志都幣命坐。故云飯石。」
かつては伊毘志と言われていたが、神亀三年、飯石と改めた土地。

『神国島根』によると、
伊毘志都幣命は、天照大神の御子・天穂日命の御子神。
またの名を天夷鳥命武夷鳥命、天熊大人、大背飯三熊大人
武三熊大人稲背脛命武日照命などという、
出雲国造家の租にして、出雲伊波比神とも称される神。

境内社の託和神社も、出雲国風土記に記載されている社。
中野、六重、神代、深野、上山、曽木、川手七ケ村の惣社であったが
明治四十四年十月、境内に遷座されたもの。

拝殿と川が近いため、大勢が一度に参拝する事はできない感じ。
周囲には、古墳や古代遺跡が散在しているらしい。

川沿いの参道・境内は、一見、あっさりとした印象だ。
案内にあるように、燈籠や狛犬がないためだろう。
飾りのない神社で、清流に沿って社殿まで進み、
背後の御神体石を拝する。
参拝後は、清々しさが残る、そんな神社だった。


社頭

鳥居

境内から鳥居

託和神社 吉備津彦命

境内

御神体石の垣

幣殿

御神体石

式内神社 飯石神社 (旧県社)
祭神 伊毘志都幣命
例祭 十一月四日(出雲大社宮司御参向)
命の天降られた磐石を御神体とし、二重の玉垣で囲み本殿 にかえている。
出雲国造が御幣を奉られる幣殿に、通殿、拝殿を配し直接 御神体を正面から拝むことができる。磐境、磐座という古 代の聖地祀形態を今に伝えている。またこの地を命の降臨 の聖地として注連縄を用いず、境内には他の神社に見られ る摂社、末社は勿論、隋神門、燈籠、狛犬もなく、純粋に 古代の伝統をそのままに継承しているのも特殊である。又 境内の辺より祭祀遺跡が発見され学会の注目を集めている。 出雲風土記によれば飯石郡、飯石郷の地名起源を、この地 に「伊毘志都幣命が坐すためである。」と記している。
これは命が本郡開拓の産土大神であるからに外ならない。
命の亦の御名を天夷鳥命と申し、天照大御神の第二の御子、 天穂日命の御子であり出雲国造家の御祖神にあたり、例祭 は千家出雲国造御参向の上執り行われる。亦大国主命の国 土奉還に際しては熊野諸手船にて美保之関へ事代主命を尋 ね、その大業を成就された。美保神社で行われる諸手船神 事は、この故事によるものである。尚当社は古来飯石郡中 の総氏神として郡中より幣帛を奉り、歴代の藩主、歴代知 事の参拝相継ぎ、島根県神社庁より特別神社としての指定 を受けている。
境内社 託和神社 (出雲風土記所載社)
祭神 吉備津彦命
古来、中野、六重、神代、深野、上山、曽木、川手、七ヶ村 の総氏神であった。明治四十四年旧社地より、この地に遷 し、八幡宮も合祀された。旧社地の付近より西日本最古の 縄文土器が発見されたのは周知の通りである。

−境内案内−



【 飯石神社 】

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