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天計神社
あまはかりじんじゃ
岡山県岡山市北区中井町1−5

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岡山県岡山市にある。
岡山駅の北東3Km、法界印駅の東300mほどの中井町に鎮座。
小学校の東にある丘の上に境内がある。
この丘は、神宮寺山古墳と呼ばれる五世紀頃の前方後円墳。
後円部分の頂上に、社殿がある。
地図で確認すると、丘へ登る道は、西側にもあるようだが、
僕は東側の水路の側から登った。
東側入口に鳥居が建ち、真っ直ぐに参道階段がある。
鳥居の扁額には、『八幡宮 天計神社』と刻まれている。
参道階段を登った境内中央に社殿。
拝殿の後方、垣に囲まれて本殿。
参拝は、正月二日の早朝。
曇天なので、日が昇っているのかどうかわからないが、
そういう時刻。
社殿には、灯りがともっていた。
創祀年代は不詳。
鳥居扁額にあるように、八幡宮とも、
神宮寺とも呼ばれている神社。
もとは、この地に神宮寺という寺があり、
その鎮守として八幡宮が祀られていたが、
神宮寺が衰退し、八幡宮のみが残ったらしい。
式内社・天計神社に比定されている古社。
旧地は、現在地の西北、北方地区の幸田畑という場所にあったらしく、
金吾中納言秀秋(小早川秀秋)が、現在地に遷したという。
祭神は、手置帆負命と彦狹知命。
天計は「あまはかり」と読むが、天量の意味。
地元では「はかりの神様」とも言うらしい。
案内板によると、
山頂部に竪穴式石室の天井石が露出しているらしいが、
気付かなかった。
この古墳の主は、吉備兄彦であると考えられている。
現在、境内には境内社は無く、
社日の石柱が一つあるだけだが、
昔は、志目社・天神社・荒神社・稲荷社が祀られていた。
また、本殿の相殿に、応神天皇(八幡宮)も祀られていた。
神宮寺山古墳 |
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鳥居扁額 ![]() | 参道階段 ![]() | 境内に社日 ![]() |
本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
国指定 史跡神宮寺山古墳
この神宮寺山古墳は全長一五〇米、幅八
〇米、高さ一五米に及ぶ巨大な前方後円墳で千
数百年前に築造されたものである。現在では前
方部は墓地となり後円部頂上には天計神社
が建てられているが比較的原形を保っている。また
後円部頂上には竪穴式石室の天井石の一部
が露出し古墳の周囲には濠をめぐらした跡が
残っている。岡山県にはこの種の古墳はかなり見受け
られるが岡山市のような沖積平野に築造され
ているものはきわめて少なくこの頃にはすでに岡
山平野は強大な権力者のもとに文化が栄え
ていたことを証明している。昭和三十四年五月
十三日国から史跡の指定を受けた。−社前案内板より− 国指定史跡 神宮寺山古墳
神宮寺山古墳は、三段築成の大型前方後円墳で
ある。規模は、全長一五〇メートル、後円部径
約七十メートル、高さ約十三メートルを計測する。
この古墳は沖積平野に築造されており、大部分が
盛土で築成されている。後円部には、現在天計神社が祀られているが、 竪穴式石室の所在を予測させる天井石が露出して いる。また、副室の小型竪穴式石室が知られてお り、そこから多量の鉄製農具(鍬・鎌等)・工具 (鋸・やりがんな・のみ等)や武器(刀・剣等) 等が出土した。 前方部からもかって、古刀・甲冑・槍・鉾の残 片が出土したと伝えられ、そこに埋葬施設があっ た可能性もある。 墳丘の各所に円礫葺石が見られ、また埴輪の破 片が採集されている。古墳築成時期は四世紀末か ら五世紀初頭と推定されている。 昭和三十四年五月十三日に国の史跡指定を受けた。 −社前案内板より− |
【 天計神社 (岡山市) 】
