[HOME] > [神社記憶] > [中国地方] > |
|
津門神社
つとじんじゃ
島根県江津市波子町イ1018
|
||
島根県江津市にある。
波子駅の北1Kmの波子(はし)に鎮座。
波子(はし)は、埴師の変化とも見られ、
野見宿禰の後裔が土器製造を行っていた場所とも。
9号線の側、海側に境内入口の鳥居が見え、
公園のようなものが側にあるようだ。
(行っていないので、違うかも)
とにかく、その公園のようなものへ向かう道の側に
参道の階段がある。
階段を登り、鳥居をくぐった先に、もう一つの鳥居。
さらに参道を進んで、階段を登ると境内がある。
ということで、100m以上の参道を歩く、懐の深い神社。
境内の中央に、立派な構えの拝殿があり、
後方に見事な造りの本殿。
本殿の左右に、二つずつ境内社が鎮座している。
創祀年代は不詳。
当地の津門首直系の氏族が、
その祖神である米餠搗大使主命を祀っていたもの。
後、寛平三年(887)に、筑前宗像より三女神の一柱である
田心姫命を勧請し、相殿に祀り、
米餠搗大使主命の名である「津門」を社名としたという。
当社の田心姫命を、
胸鋤姫命、十羅刹女という伝承もあり、
十羅刹さんとも呼ばれていた時期がある。
合祀の大年神・倉稻魂命は、
明治四十二年に合祀された年神社の祭神。
本殿左右の境内社に関して。
祠に付けられていた社名では、
左から、薗妙現早脚神社・無名社。
右に、天満宮と祇園神社だった。
『式内社調査報告』や『神国島根』では、
無名社と天満宮の代わりに、恵比須社と金刀比羅社の四社とある。
神紋は、三つ柏の紋。これは確認できた。
境内社の薗妙現早脚神社は、波子から日御碕へ
一日にして到るという足の速い神を祀ったもの。
また、当社祭神である女神が、神島へ漂着し、
生育の後、日御碕に来襲した敵を撃破したという伝承もある。
このように、当社と日御碕神社との関係は深いと考えられ、
神紋も同じ柏を用いているようだ。
境内入口の鳥居 | 参道の鳥居 | 参道の境内社 |
参道 |
社殿 |
本殿左の境内社 (薗妙現早脚社・無名社) | 本殿右の境内社 (天満宮・祇園社) |
本殿 | 本殿 |
津門神社由緒
境内外郭林由緒
−参道案内板− |