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仁壁神社
にかべじんじゃ
山口県山口市三の宮2−2136
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式内社 周防國吉敷郡 仁壁神社 |
宮野駅の西、自衛隊演習場の広い敷地の南の集落内にある。
社殿は最近修築されたらしく、まだ新しい。
境内は広く、幾つかの末社もあり、周囲は公園のようたたたずまいだ。
地元では、「三の宮」と呼ばれている。
周防三宮である。ちなみに、
一宮は玉祖神社、
二宮は出雲神社、
三宮はここ仁壁神社、
四宮は赤田神社、
五宮は朝田神社。
宮司の話では、大内氏が豊前との戦で、戦勝報告をした五社の順ということ。
社伝によると、大和時代、崇神天皇の御宇の創祀。
当初、宮野下村に鎮座していたが、「宮ノ前ヨリ終夜玉光飛リ奇瑞」があり、
現在地に遷座したという。
昔は、織姫・内侍命婦による神衣神事が行われ、
当社第一の祭儀だったが、今は無い。
入口の鳥居から想像できないほど境内は広く、社殿も立派だった。
本殿は修築されたばかりで真新しい香り。
周囲の社殿も増改築予定のようで、完成予想図が拝殿横にあった。
境内社は、参道脇に綿津見社が二社。他に河内社と具明神社は確認できた。
本殿の右手に一祠と河内社の横に一祠は、社名を確認していないが、
『平成祭データ』では、稲荷神社と江良神社の名が載っているので、
どちらかがどちらかなのだろうと思う。
入口の鳥居 | 参道の橋 |
境内 |
参道の鳥居 | 社殿 |
本殿 | 本殿 |
本殿横から | 河内社と祠 |
綿津見社 | もう一つ綿津見社 | 本殿右手の祠 |
具明見社 | 社前の社号標 | 県社の石碑 |
仁壁神社
山口市三の宮二丁目二一三六番地
仁壁神社の創建年月は不明であるが、文徳実録・三代実録
などの正史や延喜式神名帳にその名が見える古社である。
長治元年(一一〇四年)宮の前の旧地から現地へ遷座したという。
古くから周防三の宮と呼ばれている。明応六年(一四九七年)大内義與は九州の戦陣から帰り、五社 参拝をした。五社とは、防府右田の玉祖神社・徳地の出雲 神社・この仁壁神社・さらに吉敷の赤田神社・大歳の朝田 神社をいう。この参拝の順に一の宮、二の宮……という ふうに呼んでいる。 永徳一二年(一五六九年)大内輝弘の乱の時焼失したが、程なく 毛利輝元によって再興された。その後正徳二年(一七一二年)に また焼失したので、享保五年(一七二〇年)重建された。現在の 社殿がそれである。 なお、当神社には「慶長十三年二月吉日新見作」という刻名の 獅子頭がある。慶長十三年は江戸時代初期(一六〇八年)に あたり、山口市の有形文化財に指定されている。 −境内説明板− |
【 仁壁神社 】