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久武神社
くむじんじゃ
島根県出雲市斐川町出西字随心1834
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島根県出雲市(旧斐川町)にある。
「久武神社」と「出西八幡宮」の2社がひとつの境内にある
こういう形態はなんと言うのだろう。
なかなか面白い。
社名の石碑も新しく、境内も綺麗にしており、
氏神として崇敬されているようだ。
久武神社の創祀年代は不詳。
古社地は南西の山上。今でも古木が残っているそうだ。
式内社・久武神社に比定される古社で、
出雲国風土記に「久牟社」とある神社。
社伝によると、八岐大蛇を退治した素盞鳴尊が
この郷に帰られて稲田姫命にお会いになると、
命の功績を祝うかのように多くの雲が立ち上がり、
歓喜された素盞鳴尊は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と詠われた。
よって、当地に「雲社」として創建されたという。
延喜式諸本には「父武」「文武」と書かれているものもあり、
「フムノ」と訓がある。
もし、「フムノ」が正しい訓ならば、社伝にある「雲」からの変化
雲社(久武社)というのは怪しくなる。
同一境内にある八幡宮の創祀年代は不詳。
社伝によると室町時代末期の勧請と伝えられている。
天文九年の棟札があり、それ以前の勧請と思われる。
旧社格は無格社。
![](kumu.gif)
社殿の配置から見ると、久武神社が本筋だ。
境内(八幡宮横)に若宮社があるが、祭神は足仲彦らしい。
足仲彦は仲哀天皇だから、八幡(応神天皇)の父なのに。
おかしい。
通常、八幡宮にある若宮は仁徳天皇だ。
その他の境内社は、
三保社(事代主命・三穂津姫神)、稲荷社(倉稲魂命)、
社日祠(天照皇大御神・大己貴神)、塞神祠(猿田彦神)、
木俣祠(木俣神)、塚神祠(荒魂・諸霊)
鳥居と拝殿 |
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稲荷社、若宮社 ![]() | 久武、八幡兼用の拝殿 ![]() |
八幡宮本殿 ![]() | 三保社 ![]() | 社日 ![]() |
拝殿裏階段上に久武神社本殿 ![]() | 久武神社本殿 ![]() |
久武神社本殿 |
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塞神祠、木俣祠 ![]() | 塚神祠 ![]() |
神社略記 久武神社(氏神社)祭神素盞鳴命 本殿大社造り 由緒 出雲国風土記に久牟社とあり、延喜式内社であった。 現鎮座地は四度目の地といわれ、江戸時代中期に遷座 されたお社である。 素盞鳴命が八俣大蛇退治の砌、稲田姫命をこの郷の 稲城にかくまって退治におもむかわれた。そして退治 後この郷に帰られて稲田姫命にお会いになると、 命の功績を祝うかのように多くの 雲が立ち上がり、二神をとりまいた。歓喜された命は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と咏われたという。 このような由緒によって、この地は古代から出雲国 出雲郡出雲郷といい、出雲の原郷にふさわしい御社名 久牟社・久武社(雲社)が鎮座されている。 八幡宮 祭神誉田別命 本殿流れ造り 由緒 第一五代應神天皇の御神名である。 命は国際的な視野を持ち積極的にその威を国の内外に 示すとともに、外国の文物をとりいれて、我が国の文学 産業などの礎を築かれた神として崇敬されている。 このお社は、室町時代末期に氏神として勧請された もので、以降氏神社として崇敬されてきた。しかし明治 三年政府の方針に従い、式内社であった久武神社を氏神社 としたので、現在は産土神として鎮座されている。 −境内案内より− |
【 久武神社 】
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