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中山神社
なかやまじんじゃ
岡山県津山市一宮695
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式内社 美作國苫東郡 中山神社 名神大 |
津山市一宮、津山駅から北へ、約5Km。
68号線(津山賀茂線)の側、長良峯の東麓にある。
南面した鳥居は「中山鳥居」と呼ばれるもので、
貫が貫通していないのが特徴。
現在は、ナカヤマと呼ばれるが、昔は、チウサン。
備前と備中の堺の山、吉備の中山からの勧請で、
美作国が備前国から分立した和銅六年(713)四月三日に創立されたらしい。
ただし、社伝では慶雲四年(707)四月三日の創祀とされている。
吉備の中山には、
備中一宮の吉備津神社と備前一宮の吉備津彦神社がある。
チウサンの音読みに関して、
中国『山海経』に登場する鉄の国・中山経の影響とする説がある。
祭神は、現在、鏡作神とされているが、
金山彦命とする説もあり、産鉄の神である。
今昔物語や宇治拾遺物語に「中山の猿神」として登場する
猿神社は、境内の後方50mの岩の上にあり、
崇敬者の奉納した赤い猿の縫ぐるみが多く祀られている。
昔、中山の猿神に、娘の生贄を捧げていたが、
ある猟師が、犬をけしかけ、この猿を殺してしまった。
その時、猿神が宮司に神がかり、
「今後、生贄を止める」と誓ったという。
参道入口の「中山鳥居」の撮影が、大きな目的だった。
日の差さない参道は涼しげ。表神門をくぐると境内。
拝殿前にも中門があり、拝殿後方の社殿は大きくて美しい。
境内後方の岩の上に猿神社がある。
社殿左の惣神殿は、往古、120社あった境内社が
尼子の美作攻略で焼失し、その神々を祀ったもの。
その奥に、国司神社、階段上に御崎神社がある。
社前のケヤキは樹齢800年で、祝木神社がある。
『官國幣社 例祭之由来と神紋』には、特に神紋はないが三つ巴を使用しているとある。
授与所で売られている御守りには、その三つ巴紋と菊紋が付いていた。
また、一宮の文字を紋章化した紋もあったので掲載しておく。
中山鳥居 |
社前の祝木のケヤキ | 鳥居扁額 | 社号標 |
参道と神門 | 境内から神門 |
社殿正面 |
本殿 | 社殿 |
神楽殿 | 本殿後方 |
猿神社 |
境内の惣神殿 | 御崎神社 | 国司神社 |
中山神社
美作国の一の宮として高い社格と農耕の神
牛馬の守護神として広く人々の信仰をあつめてきた
中山神社は、鏡作命を祭神として、慶雲四年(七〇
七年)創建され、その後戦国時代の天文二年(一五三三年)
尼子氏の美作攻略のとき兵火により焼失したが、永禄
二年(一五五九年)尼子晴久によって再興された。その構造は室町末期のもので、安土桃山時代への過渡 期の特徴を具有し、単層入母屋妻入り造り、桧皮葺 きの本殿は中山造りと呼ばれ、他地方には例を見ず、 大正三年(一九一四年)国の重要文化財に指定され、美作一 円の神社建築の手本となっている。 広い境内の神社正面入口の鳥居は寛政三年(一七九一年) の建設であり、角貫に木鼻がなく笠木と島木にそりを もたせて壮大美を強調してあり他地方には例をみない中 山鳥居として一形式をつくっている。参道を歩み御手洗 川の石橋を渡れば津山城の大手二の丸にあった四足門を 移した(一八三四年)表神門、本殿庭には寛文八年(一六六 八年)津山藩森忠継奉納による燈籠二基がある。 更に中山鳥居の南道路べりにある「祝木のケヤキ」 (市指定文化財)は樹令八〇〇年と推定され広い洞内には 「祝木の神」大国主命をまつった小祠があり、目通り 八・三〇米、樹高一〇・五米は県下一の巨樹である。 その他中門前の右手には推定樹令五〇〇年というセ ンダンの幹に、ヤマザクラ他各種多様な植物が着 生し、さながら植物の見本市を催しているなど、 植物・鳥類・昆虫の宝庫である。 −境内案内− |