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賀茂神社
かもじんじゃ
山口県柳井市大字伊保庄近長538

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山口県柳井市の伊保庄。
柳井市から上関町まで、南に突き出た半島の東側、
屋代島を対岸にみる近長にある。
柳井駅から、半島東海岸沿いに走る道路を南下し、約6Km。
道路右手に鳥居があり、右折して鳥居をくぐって西へ。
まもなく、社域の森が見えてくる。
境内前は大きな駐車場になっており、
そこに車を止めて参拝。
『周防國式内神社考』では、
式内社・熊毛神社の論社5社の一つとなっているが、
社伝では、寛治七年(1093)、京都の賀茂神社の
分霊を奉祭したとなっており、当社としては
式内社を主張しているわけではない。
参拝時に、鳥居見学の方々が居られ、宮司が案内をされていた。
その方達が帰られた後、少し話をお聞きした。
『式内社調査報告』に載っていたので来てみました、と話すと、
「それは知りませんでした。載ってましたか。」
ということで、ご存知ではなかったようだ。
伊保庄は、賀茂別雷神社の荘園であり、
熊毛郡内ではあるが、郡家から遠いので、
熊毛神社としては、有力ではないようだ。
しかし、最近、創立九百年の式典が行われた古社であり、
伊保庄の氏神として、大切にされていることにかわりはない。
境内入口の石鳥居は、県内で2番目に古い石鳥居で、
有形文化財になっている。1番目は防府天満宮のもの。
1637年、薩摩の石工・住木賀兵衛尉による鳥居で、
参拝時に九州からこの鳥居を見に来ていた人々がおられた。
社殿は東向きで、本殿は美しい流破風造。
金の装飾が、朝日を浴びてキラキラと美しい。
参道入口 ![]() | 鳥居脇にあった 神輿台?御旅所? ![]() |
社域 |
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境内入口 ![]() | 社殿 ![]() |
社殿 |
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本殿 ![]() | 境内社、八幡宮? ![]() |
伊保庄賀茂神社 伊保庄字近長 伊保庄近長と阿月の相浦に賀茂神社が鎮座するのは、伊保 庄が京都・賀茂別雷神社の荘園となったからである。伊保庄賀 茂神社は今の伊保庄、阿月(相浦を除く)、平生町の秋森および 小郡の氏神である。その鎮座は社記および防長風土注進案に よれぱ、一○八七年(寛治元)、京都下賀茂社勧請と記載されて いるが確証はない。恐らく誤りであろう。 伊保庄が賀茂社の荘園として確認されたのは、それより六 年後、堀河天皇の寛治七年(一○九三)宮中武徳殿の行事であ る「競馬の式」を賀茂社において移し行なわれ、その馬料とし て諸国の荘園二○ヵ荘を寄進せられた。伊保庄はその一荘で あり、伊保庄の名が史上に見えるのはそれ以来のことである。 賀茂神社の伊保庄鎮斎もその後のことに相違ない。当社の祭 神はその後において熊毛神、三毛入野命が合祀されてつぎの 三座となった。 風土注進案はこの祭神を、三毛入野命、日本磐余彦命、姫鞴五十鈴姫命の三座としている。これは注進案の編纂された天保 の末年、一八四○年ごろに「上賀茂は神武天皇、下賀茂は瓊々杵命を祀る」という俗説があったのに従ったもののようであ るが、社家の古記録はいずれも前掲の三神となっている。これ に従うべきである。(略) (『柳井市史各論篇』より) −『山口県神社誌』− |
【 賀茂神社 (山口) 】
