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野白神社
のしろじんじゃ
島根県松江市乃白町779
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島根県松江市。
松江市街地から24号線を少し南。
乃白町の集落の中にある。
創祀年代は不詳。
式内社・野白神社の論社の一つで、
出雲国風土記に「野代社」とある神社。
もとは現社地の東方のトモタ山に鎮座していたが
毛利尼子の戦で焼失し、慶長十六年、現社地に遷座されたという。
明治までは、そのトモタ山の名から友田大明神とも、
舳田大明神とも称していた。
朝日を正面に受けて、随身門が輝いていた。境内には陽根の石碑。
祭神、猿田彦命にちなんだ道祖神。
道の神から「血の道」の神とし、安産、婦人病、性病の神として信仰された。
本殿の写真について。
当社境内には、本社と同規模の「金屋子神社」が鎮座している。
その本殿も立派な構えなのだが、
式内社調査報告には、どうやら金屋子神社の社殿が掲載されているようなのだ。
ということで、改めて見直してみたが、
どちらが野白神社の本殿の写真なのかわからなくなった。
僕の記憶違いで、立派な本殿が野白神社の本殿かも。
ということで、金屋子神社(らしき)本殿も掲載しておく。
その他の境内社には、紙漉きの神を祀る穀木神社がある。
社頭 |
鳥居扁額 | 随身門 | 社号標 |
拝殿 | 拝殿 |
境内社 | 金屋子社 | 境内社 |
どちらかが本殿で、どちらかが金屋子社の本殿 | |
境内にあった一対の陽根 |
『出雲風土記集解』に「此社の東方のトモタ山といふ
あり。往古は此山に鎮座なりしを尼子氏の頃、今の社地に
移して跡を城砦となせり」とし、(略)
−『式内社調査報告』− |
【 野白神社 】