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二俣神社
ふたまたじんじゃ
山口県周南市大字大向1648
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旧徳山市(現周南市)の北のはずれ、錦川に沿った315号線の側にある。
社前には、錦川を渡る橋があり、東へ進めば、金峰山。
315号線沿いに、北へ5Kmに二所山田神社。
南へ5kmで周方神社がある。
道路脇に鳥居があり、路地の参道を西へ進み、突き当たり。
境内は一段高く、拝殿・本殿は東向き。
北隣には、出雲大社大向教会所がある。
出雲大社大向教会所の神紋は、出雲大社と違い、
「亀甲に大」だった。大向の「大」だろうか。
大和時代、成務天皇五十九年(189)の創祀という。
もとは金峰山麓に鎮座していたが、
江戸時代天明二年(1782)、現社地へ遷座。
当社の神紋は、神社名鑑によれば「亀甲に三本槍」。
形状は、槍と云うより「矛」だ。
祭神、八千矛神に因んだものか、社名「二俣」によるものか。
参道の鳥居 | 参道 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
猿田彦石碑 | 菅原神社 |
天正十九年(一五九一)九月二十三目の「二俣神
社本記之寫」によると、成務天皇の御宇二俣山に大物主神、
八千戈神、稲田姫命を安置して以来、代々仲子氏が宮司を
勤めたと傅へてゐる。社地については、「金峰山其高サ貳
拾町餘三峰高圓にして兩嶺ハ二俣神社之敷地寶艮日出山と
名附、此一峰の脇常盤の瀧此瀧の内より清水出る是を號て
瀧ノ明神といへり、又二俣宮眞名井の水とも號す」とあつ
て、本来は現社地の前方を北から南へ貫流する錦川を越え
た東方の金峰山にあつたとしてゐるが、この地より現社地
に遷祀されたのは天明二年と傅へられる。
−『式内社調査報告』− |
【 二俣神社 】