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三屋神社
みとやじんじゃ
島根県雲南市三刀屋町給下字宮谷865  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に
剣花菱

式内社 出雲國飯石郡 三屋神社
旧郷社

御祭神
大己貴命 素盞嗚尊 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命

宍道湖へ注ぐ斐伊川へ合流する三刀屋川、
その合流点から南西へ2Kmほど。
三刀屋の中心地から出雲市へ抜ける271号線側にある。

数段の階段下に案内板があり、階段上に鳥居。
参道を進むと、社叢の森の入口に階段と鳥居がある。
階段上には神門があり、その中が境内。

近世以降は、「一宮」と呼ばれている。
当郷の筆頭(一宮)であったが、明治になって三屋神社と改称した。

創祀年代は不詳。
式内社・三屋神社に比定されている古社。
郡内の筆頭神社として、一の宮とも称されている神社。

出雲国風土記には、「御門屋社」とあり、
「所天下大神之御門
即在此処 故云三刀矢

つまり、祭神・大己貴命の領地の門があった場所で、正倉(みやけ)があった。
よって、社名「三屋」は、通常「みとや」だが、
延喜式写本によっては、「みやけ」と訓のあるものもある。

神社背後の高丸山には一群の古墳があり、多くの副葬品が出土している。
社伝によると、古代は、この古墳上に社殿があったようだ。

境内はかなり広く、境内の周りの木には、垣が設けられ、
幾つかの石の小祠も祀られている。

拝殿は、正面から見る感じと側面では、やや大きさに違いを感じる。

境内左手隅には、境内社が二社。祇園社と稲荷社がある。


参道入口の鳥居

鳥居

参道階段

神門

拝殿

社殿

本殿

本殿

社日

祇園社

稲荷社

三屋神社参拝案内
一、御祭神大己貴命
相殿素盞嗚尊 脚摩乳命
稲田姫命 手摩乳命
式内社
二、古棟札延喜二年再建の棟札現存す
貞享二年の棟札(五代将軍徳川綱吉公)
此年新建 本殿、拝殿、鳥居(現存)
三、由緒略記
当社は島根県飯石郡三刀屋町大字給下宮谷に御鎮座の 式内社であり出雲国風土記に御門屋社として神祇官に 在りと記された古社である。古来から郡内の筆頭に 置かれ上下の崇敬を受け累代の祠官は常に幣頭 を務めて来た家柄である。社号の由来は所造天下大神大穴持命が八十神を出雲の青垣山の内に置かじ と詔ふて追ひはらひ給ふてから此処に宮居を定め国土 御経営の端緒を御開きになったのでその御魂が高天層 に神留りましてから後出雲国造の祖先の出雲臣や神門臣 等が此地に大神の御陵を営み、また神社を創建して その御神地を定め神戸を置いて大神の宮の御料を調達 することになったので社号を大神の宮垣の御門とその神戸 とに因んで御門屋社と号けたものである。出雲国内に於て 大神の神地と神戸が風土記撰上当時に置かれた場所 は此の地のみで他に一ヶ所も無いのみならず神の御門と 神戸とを社号とした神社が全国に他には一社もないことは 特記に値することであり、此の地が出雲文化の発祥の 地であることは明らかである。
四、祭典日例祭 十月十九日 祈年祭 四月十五日
夏祭 七月十九日 新嘗祭 十二月二日
五、境内社祇園社 稲荷神社
六、建築物本殿(大社造り)
拝殿(入母屋肘木造り向拝縋り破風造り)
隋神門 いずれも貞享二年の建築
七、境内面積一八四六平方メートル
当社の庭からの眺望は絶佳にして給下、三刀屋、里方、山方の 各平原を俯瞰し城名樋の山を指願し国土経営の国見山を 社殿の背後に仰ぎ見ることが出来る
八、宝物棟札、古文書、稲田姫の手鏡(笑鏡)三十六歌仙(額)

−境内案内−



【 三屋神社 】

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