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須多神社
すたじんじゃ
島根県松江市東出雲町須田523−1
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式内社 出雲國意宇郡 湏多神社 |
旧東出雲町(現松江市)。意宇川へ合流する須田川側にある。
9号線から53号線を南下し、1Kmほどで須田川沿いの脇道を進む。
川にかかるコンクリートの橋の東側に鳥居がある。
参道を進み、階段を上がると境内。
拝殿と本殿、境内社が一つのガランとした境内だ。
『式内社調査報告』では、神紋は「二重亀甲に三つ巴」とあったが、
亀甲の中は宝珠のように見える。それぞれの宝珠が巴に見えないこともないが、
通常の三つ巴とは明らかに違うようだ。
『神国島根』で確認したところ「二重亀甲に宝子の玉」だそうだ。
創祀年代は不詳。
式内社・湏多神社に比定されている古社で
出雲国風土記に「須多社」と記されている神社。
明治以前は、白尾大明神と呼ばれ、稲荷信仰を習合していたようだ。
合祀されている須田下社は、出雲風土記記載の不在神祇官社で、
須多谷荒子大明神と称され、意宇ノ山に鎮座していたらしい。
『ガラン』としている。とにかくそんな印象しかない。
社殿は南面しており、背後に山城山(57.1m)がある。
境内前の須田川にかかる橋 |
鳥居 | 拝殿 |
境内 |
参道階段 | 本殿 | 境内社 |
天和三年(一六八三)の『出雲風土記鈔』に「黒田ノ驛、
(中略)須田社・同下社、此二祠モ亦同郷須田谷白尾大明
神及荒川大明神也」とあり、享保二年(一七一七)の『雲
陽誌』にも「須多社、白尾明紳なり」と記し、下つて天保
四年(一八三三)の『出雲神社巡拜記』には「上出雲郷村
すた谷白尾大明紳、記伝須多社、式伝須多神社」、『出雲國式社考』
には「須多神社、風土記に同、黒田驛今阿多加夜村の内に
須多といふ地にあり。白尾大明神といふ」と説いてゐる。 明治になり、白尾大明神では社號を式によつて「須多神 社」に戻し、教部省の『特選神名牒』でも須多神社の所在 地は出雲郷村とするに至つてゐる。 延喜式神名帳・出雲國風土記登載の神社ながら 記録を見ず。意宇郡明細帳に據れば、往古神事盛行が偲ば れ、『八束郡誌』に「元禄十四年出雲郷村御下札」に「白 尾大明神、三斗三舛四合」給付されてゐる。明治五年村社 に列し、明治四十三年十月十五日神饌幣帛料供進神社に指 定せらる。 −『式内社調査報告』− |
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