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劔神社
つるぎじんじゃ
山口県防府市大字高井1154−1
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山口県防府市。防府市街から山口方面へ向う262号線の側。
山陽新幹線の高架下にある。
262号線から東へ少し入ると、長い参道があり、
背後の右田ヶ岳に向って進む。
立地を見ると明らかに、右田ヶ岳が神体山。
剣のように険しい山岳に対する信仰だと思うが、
社伝では、仲哀天皇が熊襲御親征の際、当地へ行幸され、
賊徒幸福祈願として「八握の剣」を御神体とし、
素盞嗚尊を鎮祭したとある。
当社から、262号線を北上すると、右田ヶ岳の側で坂となる。
現在、勝坂と呼ばれ、神功皇后が勝利の雄叫びをあげた勝獲坂。
参拝時は、氏子の方々が、迎春準備の最中で、
献灯などの飾り付けをしていた。
北上する参道は長く、背後の右田ヶ岳の景観に圧倒される。
現在は、当社の北すぐの所を山陽新幹線が東西に走っており、
その高架下に社殿がある。
風水に関して知識がないのだが、右田ヶ岳を御神体と考えると、
この遮断する流れは、良いとは思えない。
南参道の鳥居 | 東参道の橋と鳥居 |
南参道と右田ヶ岳 |
境内入口 | 社殿 |
拝殿 | 本殿 |
石祠が多い | 焼火神社 |
境内 |
剱神社由緒 本社は人皇第六十代醍醐天皇の時に作られた延喜式 (西紀九〇五)に登載されている式内神社で、最も古い 周防国十座の中の一座である。 社伝に人皇第十四代仲哀天皇熊襲御親征の時、当地に 行幸し、賊徒降伏祈願のため「八握の剣」を御神体とし、 武勇の神「素盞嗚尊」を鎮祭し玉うたに初まり、神功皇后 夷賊御征伐の際、傍の坂に登り、海上を臨み、神徳の 加護を祝して群臣と共に御勝利の雄叫びをあげ玉う。 よってこの坂を名付けて勝獲坂(今の勝坂)と称す。 この事跡を慕い源義経は西下の際参拝して弓矢鎧鉾を 奉納し、太閤豊臣秀吉も九州進発の時に、願をかけ、 帰陣の後唐の太鼓を寄進した。 大内、毛利氏代々も尊崇厚く広大な神田を寄進して 戦勝並びに領内平穏と五穀豊穣とを祈願した。 往古、長暦年中(西紀一〇三七)までは国幣使を立てられて いたが、明治維新後郷社に列せられた。 なお昭和四十三年二月一日山形県鎮座の居合神社の御分霊を配祀した。 −境内案内板− |
【 剣神社 劔神社 剱神社 (防府市) 】