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多賀神社
たがじんじゃ
岡山県瀬戸内市長船町磯上2889
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御祭神 |
岡山県瀬戸内市にある。
長船駅の東4Kmほどの長船町磯上に鎮座。
千田川に沿って東へ3Km程度進み、北上した場所。
柏山公会堂の横に、北西向きに鳥居が立っている。
数段の階段を登り、参道を歩くと神門。
神門をくぐると、境内がある。
神門の正面に拝殿、後方に流造の本殿が建っている。
参拝は、正月三日の早朝。
日が昇った頃だが、曇天なので太陽は見えない日。
まだ、本殿に灯りがともっていた。
境内の右手に、和気清麻呂らしき人物の像が立っている。
岡山の神社境内には多いようだ。
当社・多賀神社そのものの由緒に関しては
資料未入手のため、わからない。
当社へ参拝した理由は、
境内社として、本殿の左後方に祀られている
美和神社が、式内社・美和神社と関係するらしいから。
寛文六年、当地方にあった幾つかの淫祠を集めて、
多賀神社境内に寄宮を建てて祀ったが、
その中に、福里の美和神社が含まれていた。
その福里の美和神社が、式内社・美和神社であるという説があるらしい。
寛延二年、福里の美和神社は再興されたので、
結局、一時期、美和神社がここに祀られていたという意味でしかないのだが、
江戸中期、式内社の再興が進められた時、当美和神社も注目され、
磯上村の名主安右衛門が、多賀神社境内に碑を建て
「古の美和神社の古跡」としたという。
ただし、福里の美和神社が式内社であることを疑問視する意見も多く、
明治の調査によって、結局、当社美和神社も
福里の美和神社も、式内社とは認められなかったらしい。
本殿の屋根に、桐紋と桜紋が付けられていた。
桐紋は、岡山に多い紋だが、桜はなぜだろう。
本家の多賀大社の紋でもないのだが。
社頭 |
鳥居 | 社日とベンチ |
参道と神門 | 社殿 |
境内 |
本殿 | 本殿 |
境内社・美和神社 | 和気清麻呂? | もう一つの境内社 |