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賀茂別雷神社
かもわけいかづちじんじゃ
京都府京都市北区上賀茂本山339  Zenrin Data Com Maps display !!
君を祈る 願ひを空に見てたまへ わけいかづちの神ならば神

加茂葵

朱印のページへ!!

式内社 山城國愛宕郡 賀茂別雷神社 亦若雷 名神大 月次相嘗新嘗
山城國一宮
旧官幣大社

上賀茂神社公式サイトを開く

御祭神
賀茂別雷命

京都府京都市にある。
京都駅の北9Kmほどの上賀茂本山に鎮座。
堀川通を北上し、賀茂川に突き当り御薗橋を渡ると境内がある。

境内入口は南側。
参道入口に朱の一之鳥居が建っている。
以前参拝した時は、この鳥居に足場が組まれ修築中だったが
その後の参拝時には、修築は終わっていた。

一之鳥居をくぐると広い境内。
中央の砂利の参道以外は芝生で覆われている。
芝生の中には、馬田しの桜、見返りの桐、むち打ちの桜、
勝負の桜、枝垂れ桜などと名前の付いた木がある。

境内右手には、ならの小川とも呼ばれる御手洗川が流れており
北神饌所(庁屋)などがある。
北神饌所の北には、曲水の宴が開催された渉渓園がある。

参道を直進すると二之鳥居があり、
二之鳥居の奥が、社殿のある砂利の境内。
境内には、楽屋、土屋、舞殿(橋殿)などの社殿があり、正面の細殿。
細殿の前には、二つの立砂が盛られている。
立砂は、盛塩の原型で、神籬だそうだ。

細殿の後方に樟橋があり、樟橋付近で
御手洗川に御物忌川が合流している。

橋を渡ると楼門があり、楼門の奥に中門。
中門の奥に本殿などが鎮座しているが、中門奥は撮影禁止だそうだ。

左京区にある 賀茂御祖神社 を下社と称し、当社・賀茂別雷神社を上社と称す。
よって、通称は上鴨神社。

創祀年代は不詳だが、『本朝事始』などでは、
当社の祭・賀茂祭は欽明天皇の頃に起源があるらしい。

社伝によると、
神代の昔、本社の北々西にある秀峰、神山に御降臨になり、
天武天皇の御代(678)現在の本殿に御鎮座になったという。
つまり、神山を神体山とする遥拝殿が、当社の起源なのだろう。

長岡遷都に際し、従二位を授けられ
平安遷都後は、王城鎮護の神として朝廷の崇敬を受け、
『日本後記』には、大同二年(807)「賀茂御祖神別雷神並奉授正一位」とある。

嵯峨天皇の代から、賀茂氏の女が奉仕してきた忌子に代わり
皇女が斎王として奉仕するようになったという大社。

境内社殿のほとんどは寛永五年(1628)の造営で
国宝、あるいは重要文化財に指定されている。

日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して
大和の葛木山に宿り、さらに山代国岡田の賀茂に移り、
その後、久我国の北山基に鎮座。
丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依日売が生まれた。

ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、
丹塗矢が川上から流れ下って来た。
これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子を産んだ。
成人し、建角身命が、「汝の父に酒を飲ましめよ」と言ったところ、
天に向かって杯を手向け、昇天した。
それが、祭神賀茂別雷命である。
また、父は乙訓社の雷神であったという。


一之鳥居、修築中だった

一之鳥居、修築完了

境内

舞殿(橋殿)

土屋

細殿に立砂、盛塩の原型、神籬だ

参道と楼門

中門、ここから先は撮影禁止らしい
この中に本殿や末社土師尾社などがある

山城国一ノ宮
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
御祭神 賀茂別雷大神
御神徳
 厄除雷の御神威により厄を祓い、災を除き給う厄除明神として広く信仰されている。
 方除京都の鬼門の守り神として、方除の信仰が篤い。
主な祭典
 賀茂祭(葵祭) 五月十五日 例祭
  古く欽明天皇(六世紀)の御代より始まる。現在も皇室より勅使を御差遣になり祭が行われる。その行列は 王朝絵巻を見るが如く優雅で、総勢五百名、列の長さ八百米に及ぶ。京都三大祭の一つ。
 競馬会神事 五月五日
  当神社は競馬発祥の地と言われ、堀川天皇の御代(十一世紀)より殊に盛んとなり今日まで連綿として 続いている。京都市登録無形文化財。
 夏越祓 六月三十日
  茅ノ輪をくぐり、人形を流して罪穢を祓い清め、無事で健康な生活を祈願する行事。
風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりけり 藤原家隆
と百人一首にも詠われているように、当神社の夏越祓は鎌倉時代すでに有名であった。
 からす相撲 九月九日
  神事役がからす鳴き、からすの横飛びなどして、童子が相撲をして神覧に供する珍しい行事。京都市登録無形文化財。

−境内案内より−


神代の昔、本社の北々西にある秀峰神山に御降臨になり、天武天皇の御代(678年)現在の本殿に御鎮座になった。御鎮座以来広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大事には必ず奉幣、御祈願があった。嵯峨天皇は皇女有智子内親王を斎院と定め、天皇の御杖代として御奉仕なさしめ給い、以来三十五代、約四百年続いた。「延喜式」では名神大社に列し、のち一ノ宮として尊崇せられた。又摂関賀茂詣、武家社参相次ぎ、特に徳川家は家紋の三ツ葉葵が、当神社の神紋二葉葵に関係があるところから、特別の信心を寄せた。明治以後終戦まで、官幣大社として伊勢の神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。

−『平成祭データ』−

戦前の絵葉書を入手。
一部だけど、当社の境内図なので、載せてみた。

とにかく境内は広く、境内社がいくつもある。
また、境外にも摂末社があり、その中のいくつかは式内社、あるいは論社となっている。

ちなみに、境内・境外摂末社の式内社は以下の通り。

境内 式内社
山城國愛宕郡 賀茂山口神社
摂社賀茂山口神社
御歳神

山城國愛宕郡 賀茂山口神社
山城國愛宕郡 鴨岡太神社
末社山森社
素戔嗚神 奇稻田姫神 田心姫神

山城國愛宕郡 賀茂波爾神社
末社土師尾社 (中門内 一般不可
建玉依比古命

山城國愛宕郡 須波神社
末社須波神社
阿須波神 波比祇神 生井神 福井神 綱長井神

山城國愛宕郡 片山御子神社 大 月次相嘗新嘗
摂社片山御子神社
玉依比賣命

境外 式内社
山城國愛宕郡 太田神社
摂社大田神社
天鈿女命

山城國愛宕郡 久我神社
摂社久我神社
賀茂建角身命

よって境内社に関しては次ページに記載。

もっと詳しい内容へ

【 賀茂別雷神社 上賀茂神社 上鴨神社 】

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