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氣比神社
けひじんじゃ
兵庫県豊岡市気比字宮代286  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 但馬國城崎郡 氣比神社
旧村社

御祭神
五十狹沙別命 配祀 神功皇后

兵庫県豊岡市にある。
豊岡駅の北13Kmほど、
円山川の河口部にある気比に鎮座、
というよりも気比川の河口部という方が正確。

集落の南側、122号線の東、気比川の東岸に
西向きの境内がある。
122号線か真っ直ぐに、田の中の参道が延びている。

囲いも垣も無い
境内の入口には鳥居が立っている。
鳥居をくぐると、左手に手水舎があり
正面に割拝殿。
その奥に社殿があるが、この赤に本殿が納められている。

当初、『式内社調査報告』に記載されている地図を頼りに
気比集落内を探してが、その場所には違う神社が鎮座していた。

それはそれで構わないのだが、そのせいで
当社の正確な位置がまったくわからない状態で
周囲の道をグルグルと彷徨いながら探してみた。
122号線を南下している時に、視界の左隅に
社叢のような雰囲気の場所が見えたので
気比川を迂回して当社へ到着。
参拝後に122号線から見ると、
当社へ真っ直ぐつづく参道があった。

こういう、ちょっとしたトラブルの後に訪れた神社は
長く記憶に残るのだと思う。

社伝によると、和銅二年(709)の創祀。

敦賀にある氣比神宮と同様に、
伊奢沙別命(大気比日子命・五十狹沙別命)を主祭神とし
神功皇后を配祀する神社で、
式内社・氣比神社に比定されている古社。

一説には、神功皇后が敦賀から穴門へ向う途中
若狭、加佐、與佐、竹野の海を経て、
この地から円山川を遡り、
粟鹿大神夜夫大神伊豆志大神小田井縣大神を詣でた後
一時、この地で兵食を備へたという。
ある夜、越前筍飯の宮に坐す五十狹沙別大神が
神功皇后に託宣して曰く
「船を以って海を渡らば須く住吉大神を御船に祀るべし」
神功皇后は住吉三神を船に祀り
御食を五十狹沙別大神に奉って、
この地を気比浦と称するようになったという。

社殿の右前に、境内社の稲荷社が祀られている。

気比川を迂回して当社へ向う途中、
当社から北へ少しの場所に、銅鐸出土地の史跡がある。
道端にある岩の根元に、案内があるだけだが。
出土した銅鐸は、現在、東京国立博物館にあるようだ。


参道

境内鳥居

鳥居

境内

割拝殿

社殿

社殿内部の本殿

境内社(稲荷)

境内北方にある銅鐸出土地

史跡 銅鐸出土地

 この地 兵庫県豊岡市「当時城崎郡港村」 気比字鷲崎の突端において 大正七年「一 九一二年」九月十五日港東小学校改築用の 石材採取作業中に 東側の岩窟内部より 出土した渦巻文流水文銅鐸四個は わが 国の重要文化財として指定され 東京国 立博物館に所蔵されている
 豊岡市教育委員会はこの地をながく後 世に保存するため 昭和四十八年六月十 五日豊岡市文化財に指定した
 今般気比川改修工事に伴う道路付替に 際し 気比地区とともに環境を整備した ものである

−案内石碑より−



【 気比神社 氣比神社 (豊岡市) 】

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