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和爾坐赤阪比古神社
わににますあかさかひこじんじゃ
奈良県天理市和爾町1194  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 大和國添上郡 和尓坐赤坂比古神社 大 月次新嘗
旧村社

御祭神
阿田賀田須命 市杵嶋比賣命

境内式内社 大和國添上郡 和尓下神社二座
春日社および八幡社

奈良県天理市にある。
JR桜井線・櫟本駅の東2Kmほどの和爾町に鎮座。
言葉でうまく説明できないが、集落の中、
和邇公民館の横に境内がある。

境内入口は西向きだったような気がする。
参拝は10年近く前なので、間違っているかもしれないが。

境内入口の石の鳥居の右脇には
「式内村社 和爾座赤阪比古神社」と社号標が建っており
鳥居をくぐると正面に瓦葺の拝殿。
拝殿の後方に、赤い鳥居があり、社殿が三つ並んでいる。

中央の社殿は朱の春日造で、当社の本殿。
左手には、ひと回り小さな春日社。
右手にも、さらにひと回り小さな八幡社がある。

創祀年代は不詳。

和爾氏の氏神として成立し、
式内社・和尓坐赤坂比古神社に比定されている古社。
神亀元年(724)以前から神戸が与えられたという
添上郡屈指の大社であり、
三代実録にも「従五位下和爾赤坂彦神」と記載され、
延喜の制においても、大社に指定されている神社。

『日本書紀』の神武天皇即位前年の箇所に
和珥の坂下に居勢の祝(はふり)という者がいる」とあり
崇神天皇十年に武埴安彦の謀反を討つために大彦命が派遣され
和珥の坂に到着した」とあり、
さらに大彦命と和珥氏の祖・彦国葺が派遣され
忌瓮(神祭りに用いる酒などを入れる容器)を
和珥の武鐰(すき)坂の上に据え、
精兵を率いて奈良山に登って戦ったとある、
和珥の坂和珥の武鐰坂は、当社の赤坂のことらしい。

つまり、「和尓坐赤坂比古神社」とは
和爾に鎮座する、和珥の坂の男神を祀る社ということだろうか。

当社は横穴式古墳の上に鎮座しているとも伝えられている。
また、当初は和爾氏の同族・小野氏の氏寺である
願興寺(廃寺、当社の東数百mに寺跡)の
近くにあったとも伝えられている。

『式内社の研究』において、志賀剛氏は、
当社境内の春日社および八幡社が式内社・和尓下神社二座であるとする。
つまり和邇地区を上下に分けた、上和邇に当社・和爾坐赤阪比古神社があり、
下和邇に和尓下神社二座が存在したと考え、
下和邇の西部、谷脇寺付近にあった春日社と、
下和邇の東部、太子堂付近にあった八幡社がそれに相当するらしい。
この二社は大正八年、当社境内に移築されたという。

参拝はかなり昔で、今ほど撮影に気を使っていなかったので
いつか再訪して撮り直すつもりだったが、
その後、奈良へ行くたびに忘れてしまい
未参拝の神社を優先してしまうので、掲載しておくことにした。


境内

拝殿

社殿


【 和爾坐赤阪比古神社 (天理市) 】

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