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廣田神社
ひろたじんじゃ
兵庫県西宮市大社町7−7  Zenrin Data Com Maps display !!
けふ迄は かくて暮しつ行末を めぐみ広田の神に任せん

十六八重菊


三重割菱

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式内社 攝津國武庫郡 廣田神社 名神大 月次相嘗新嘗
旧官幣大社

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御祭神
天照大御神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)

第一脇殿第二脇殿第三脇殿第四脇殿
住吉大神八幡大神諏訪建御名方神高皇産霊尊

境内 式内社
攝津國武庫郡 伊和志豆神社 大 月次新嘗 伊和志豆神社 彦坐命

境外 式内社
攝津國武庫郡 名次神社 鍬靫 名次神社 水分大神
攝津國武庫郡 岡太神社 岡田神社 天御中主命

兵庫県西宮市にある。
JR西宮駅の北西2Kmほどの大社町に鎮座。
広田山公園に境内がある。

夕方に到着してしまい、参拝中に夜になって境内すべてを回れず、
拝殿周辺は明かりがあって美しいが、他は真っ暗だった。

参道入口には、笠木の無い鳥居が建っていた。
参道を進むと広い砂利の境内。
緩やかな階段を上ると社殿がある。

神明造の拝殿の奥に本殿があるのだが、
本殿の形は、暗くてよくわからなかった。

本殿の左右に脇殿が一つずつ。
右の脇殿は、第一脇殿(住吉大神)・第二脇殿(八幡大神)。
左の脇殿は、第三脇殿(諏訪建御名方神)・第四脇殿(高皇産霊尊)。

『日本書紀』によると、新羅を討たれて凱旋の途次にあった神功皇后は、
仲哀天皇の御子・忍熊王が軍を起こしたことを知り、
船を迂回させて紀伊へ向かった。
ところが船は海中をぐるぐると回って進まず。
武庫の港で占ったところ、天照大神が神託に
「わが荒魂を皇后の近くに置くのはよくない」
「広田国の地に置くのがよい」と。
そこで、山背根子の娘・葉山媛に祀らせたという。
その荒魂の名を、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命という。

当初は、「六軒新田の上高隈原」という地に鎮座していたが
いつの頃か、現在の参道の正面の平地に鎮座し、
享保九年(1724)、御手洗川の水害の恐れがあるとして現在地に遷座した。

境内社の摂社・伊和志豆神社は、式内社・伊和志豆神社の論社。
祭神は伊和志豆大神。一説には開化天皇の皇子・彦坐命
当社を創建した神功皇后は四世孫にあたる。

もとは当社の東南1.5Kmに地に祀られていたが
大正六年七月十六日、当社境内に移転。戦後は本社に合祀されていた。
平成二年の御大典にあたり、社殿を再建したもの。

暗くて、境内のすべてを見たわけではないが、
確認した境内社は、伊和志豆神社、松尾神社、
稲荷社・地神社・春日社・子安社・八坂社、
そして、葉山媛命を祀る斎殿神社。
斎殿神社は、もとは当社の東北・御手洗川畔に鎮座していたが
享保十二年の遷座の際に、境内西の山に遷座し、
明治四十四年、松尾神社に合祀されていたが
本殿復興に際し、別に祀られるようになった。

神紋は、三重割菱。3つの田が重なった形。
生田長田廣田を表しているらしい。


境内入口

境内から参道を振り返る

境内

拝殿

拝殿

拝殿から本殿

本殿左の第三脇殿・第四脇殿

本殿右の第一脇殿・第二脇殿

伊和志豆神社 彦坐命


松尾神社

稲荷社・地神社・
春日社・子安社・八坂社

斎殿神社 葉山媛命

御神水

当神社の御祭神は伊勢の神宮にまします天照皇大神の荒魂をお祀り申し上げて居ります。
神功皇后三韓征討御凱旋の際御神誨により御心広田の地に国土の安泰外難の護りとして御祀りせられたのであります。御鎮座以来壱千七百九拾余年の間、歴朝をはじめ公家、武将、万民に至るまで崇敬の篤かったことが記されております。
往古より御脇殿には御主神に由縁深き住吉大神八幡大神、諏訪大神、高皇産霊神を祀り古くより広田五社と称せられて居ります。
醍醐天皇延喜の制明神大社に列し、白河天皇の永保元年二十二社制度に際しては、その一社にに加えられ、明治四年五月十四日官幣大社に列せられて居ります。社殿沿革に高倉天皇治承元年神祇伯仲資王が社殿を修理し装束を奉って遷宮を行ったことが日記に見えて居り慶長九年豊臣秀頼により大規模の改築が行なはれ、享保九年には徳川吉宗によって現在の地に御鎮座せられたのであります。現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮旧社殿の譲與を受け、昭和三十一年竣工、昭和三十七年には拝殿、翼殿、翼廊等新築、昭和三十八年には御脇殿の新築(いずれも神明造)を見るに至っています。天照坐皇大御神は日の大神と申し上げ、玉殻の種を田畑に植え、養蚕、織物等国民生活に必要な道をお開きになりました高貴の大神であります。又中世には和歌の神として顕はれて大阪の住吉社と共に有名であります。高倉天皇承安二年には広田歌合が行なはれています。

−『平成祭データ』−



広田社 西宮郷(西宮市大社町)にある〔大坂より五里余〕。
  祭神 一座 広田明神〔天照大神の荒魂である〕。
『日本紀』にいう。神功皇后が新羅を征された翌年、忍熊王が兵を起し、住吉に駐屯した。
皇后はこれを聞いて、務古水門に還りトしたところ、天照大神が誨えて言った。我が荒魂は皇后に近くいてはならぬ。御心を広田の国に居らせるのがよい、と。そこで山背根子の女、葉山媛に祭らせた。
 貞観元年(八五九)、広田神を正三位に任じた〔初めは従三位勲八等であった〕。同十二年(八七〇)、従一位とする。ある説に、広田社を五座としていう。
 一 住吉
 二 広田〔天照大神の荒魂である〕
 三 八幡
 四 南宮〔大山咋神である〕
 五 八祖神〔高皇産霊尊
 四社は後人の勧請である。

(新続古今) けふ迄はかくて暮しつ行末は(を)めぐみ広田の神に任せん
六条入道前太政大臣

注 一住吉…八祖神 住吉・神功皇后・八幡宮・諏訪・八祖神ともいう。

−『和漢三才図会』−



【 広田神社 廣田神社 】

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