[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
崇導神社
すどうじんじゃ
京都府京都市左京区上高野西明寺山34
|
||
旧村社 |
京都市左京区上高野にある。
八瀬の山にある御蔭神社から雪の中を歩く。
高野川の南から北側へ渡りたいが、なかなか橋が見つからず。
やっと見つけた橋を渡ると、葬式をやっていた。
すごい人出で、近所の人たち全員が参加している感じ。
警備が出て、交通誘導も行われていた。
当社の場所が分からず、勘を頼りに歩くが見つからず、
通りがかった方に道を聞いて到着。
境内は暗く、シンシンと降る雪が、ストロボを反射し、
あるいは靄・霞、あるいは光玉となる。
雪のせいか、境内は非常に静かで、なにやら怪しげ。
鬱蒼とした森・無人の境内が、なんとも云えない。こういう神社が面白い。
祭神・早良親王は、桓武天皇の同母弟であったが、
長岡京遷都において、敵対していた藤原種継暗殺事件の首謀者として
淡路へ配流されることになった。
早良親王は、無実を訴え、絶食。
移送途中の高瀬橋頭で絶命し、遺体のまま、淡路へ流された。
その後、桓武天皇周辺で、変事が続き、天変地異が起こったため、
早良親王の祟りを恐れ、「崇道天皇」の尊号が贈られた。
境内入口 |
社頭に伊多太神社社号標 | 手ブレの鳥居扁額 | 参道 |
境内 |
社殿 | 本殿 |
社殿から参道 |
境内には多くの末社が点在する。
目についたものは、小野神社、伊多太神社、豊受皇大神宮・天照皇大神宮、出雲高野神社、
市杵島姫命大神、宇佐八幡大神、辨財天大神、北野天満大神、
十二所大神、赤山大神、春日大神、恵比須大神、日吉辻大神合祠、貴布禰大神など。
伊多太神社の脇に、伊多太神社の末社が幾つか祀られていたが
社名を確認するのを忘れてしまった。写真もブレててよく読めないのだ。
境内の小野神社は、式内社・小野神社の論社。
というより、崇導神社が小野神社の論社なのだが、
境内の小社として再建されたもの。
当地は昔、小野郷と呼ばれた地で、
当社の後方、西明寺山に小野毛人の墓があるらしい。
境内社の伊多太神社は、式内社・伊多太神社の論社。
もとは当社の西450mほどの字大明神に鎮座していたが
明治四十一年、当社境内に遷された。
「いたいた大明神」「いたいいたい大明神」とも俗称され
頭痛などに霊験があるという。
境内社の出雲高野神社も、式内社・出雲高野神社の論社。
これも、崇導神社が出雲高野神社の論社なのだが、
昭和五十一年、氏子によって小祠に祀られたらしい。
小野神社 小野妹子命,小野毛人命 | 伊多太神社 伊多太大神 |
伊多太神社社殿 | 伊多太神社末社 |
伊多太神社末社 | 伊多太神社末社 |
観音堂 | 市杵島姫命大神・宇佐八幡大神 辨財天大神・北野天満大神 |
十二所大神・赤山大神・春日大神 | 恵比須大神・日吉辻大神合祠 貴布禰大神 |
豊受皇大神宮・天照皇大神宮と 出雲高野神社 | 出雲高野神社 |
当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇
道天皇の謚を追尊)を奉祀する旧高野村
の産土の社でその創建年代は詳かでない。
延暦四年に造長岡京使藤原種継暗殺事
件がおこり親王も関係ありとされて淡路島
へ配流の道中大山崎で怨念を残しつつ憤死
された。 その後朝廷をはじめ都の内外に不吉な 事件と奇妙な異変が続発した。これらの 怪異天災は親王の怨霊が祟りがあると 占に出たために鎮魂の行事が盛んに行はれ た。都の鬼門に当ると共に北陸への要衝のこ の高野の地に御霊社として親王を祀ること となった。御霊信仰の全国的に流行する貞 観時代に早良親王のみを祭った例はない。 −境内案内より− 当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇道天皇の諱を追尊)を奉祀する旧高野村の産土の社で、その創建年代は詳かでない。延暦4年に長岡京使藤原種継暗殺事件がおこり、親王も関係ありとされて、淡路へ配流の道中大山崎で怨念を残しつつ憤死された。その後朝廷を始め、都の内外に不吉な事故と奇妙な異変が続発した。これらの怪異天災は親王の怨念の祟りがあると占に出たために鎮魂の行事が盛んに行われた。都の鬼門に当たると共に北陸への要衝のこの高野の地に御霊社として親王を祀ることになった。御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。 −『平成祭データ』− |