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天乃石立神社
あめのいわたてじんじゃ
奈良県奈良市柳生町柳生岩戸谷789

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奈良県奈良市にある。
柳生の里、369号線から東へ山道を800mほど登った場所。
道にある案内にしたがって進むと、当社の鳥居がある。
鳥居をくぐり、木々の参道を歩くと、
周囲には巨石がゴロゴロと転がっている。
少し歩くと、大きな石が立っているのが見える。
その巨石が当社の御神体。
戸磐明神、戸岩谷神社、神戸岩神社とも呼ばれる神社。
巨石の傍らに拝殿があり、神殿は無い。
拝殿近くから、
きんちゃく磐と呼ばれる丸く大きな岩が、日向神社。
横に伏したような三角錐が前伏磐で、天立神社。
その後方で、斜めになった壁のような前立磐が、天石立神社。
その前立岩の背後に添うように後立磐があり、天石吸神社。
この四つの巨石の総体を、天石立神社と呼ぶ。
創祀年代は不詳だが、
古代人の巨石信仰の名残であることは明らか。
伝承では、手力雄命が、
天岩戸の扉を引き開けた時に、力余って、
ここまで飛んで来た、岩戸の扉であるという。
柳生家の修練の場とも呼ばれ、
歴代柳生家の崇敬があつかったという。
巨石がゴロゴロと転がっている場所は何処にでもあるが、
2枚の立岩が寄り添うように立っているのは面白い。
鬱蒼とした森の中に、
苔むした巨石が整然と並んでいる様は、実に神々しいもの。
なんとか、その姿を写真に収めたいと奮闘したが、
広角レンズが欲しいなぁ。
境内入口 ![]() | 参道脇、谷に巨石がゴロゴロ ![]() |
拝殿横の神体石 ![]() | 拝殿 ![]() |
神体石 |
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境内全容 |
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拝殿からさらに数十m歩くと、木々の間に
もう一つの巨石が出現する。
中央部で2つに割られた、有名な一刀石。
柳生石舟斎が、天狗と間違えて断ち割ったと伝えられている。
一説には、一刀石を割ったのは柳生十兵衛であるとも。
一刀岩 |
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式内天乃石立神社 柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延 喜式神名帳に記載されている式内社 である。延喜式は一千年前延長年間 に撰せられたもので、その神名帳には、 全国の官国幣社二一三二座を記載して いるが、戸岩谷の天乃石立神社も、 小社としてその中に加わっている。 天乃石立神社の祭神は、天照大御神、豊磐門戸命、櫛磐門戸命、 天磐戸別命となっているが、神体は扉の形 をした巨岩(花崗岩)、前伏磐、前 立磐、後立磐の三つに割れている。 前立磐は高さ六メートル幅七・三メートル 厚さ一・二メートルあって、全体が扉の 形をしている。 伝説によると、神代の昔、高天原 で手力雄命が天岩戸を引き開けたと き、力余ってその扉石が、虚空を飛来 し、この地に落ちたのだという。 虚岩信仰の好適例で、古来土地の人 達の信仰は深く強いものがあった。 正保二年(一六四五)但馬守宗矩は、 参道を修理して並木を植えているし、 宝永二年(一七〇五)柳生宗弘(のち 藩主俊方)は、能舞台を建て石燈籠 を寄進し、寛保二年(一七四一)藩主 俊平も、石燈籠を寄進している。 −境内案内板− 一刀岩 この大きな岩は花崗岩ですが、 中央でみごとに割れています。 一説によると柳生新陰流の始祖 柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手 に剣の修行をしていて、天狗と 思って切ったのがこの岩だったと 伝えられている。 −境内案内板− |
【 天石立神社 天乃石立神社 (柳生) 】
