[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
請田神社
うけたじんじゃ
京都府亀岡市保津町字立岩4
|
||
京都府亀岡市にある。
亀岡駅の東3Kmほどの保津町に鎮座。
桂川(保津川)にかかる保津橋を北上し、
500mほどで東へ入ると八幡宮が鎮座しているが、
八幡宮からさらに東へ進み、保津川に沿った狭い道を進むと
突き当たりに当社境内がある。
この道は通り抜けできない道で、当社の東側で道が終了。
狭い道なので方向転換は難しいかもしれない。
境内は川に面して南向きで、参道は西から入ってくる形式。
境内の中央に、舞殿のような拝殿があり、
その北側、石垣の上に流造の本殿。
本殿の右手に、境内社の稲荷社が鎮座している。
創祀年代は不詳。
現在の保津峡は、近世には浮田(ウケタ)峡と呼ばれていたため
保津峡の出口にある当社と対岸の桑田神社は浮田明神・請田明神と称されていた。
境内案内によると、
祭神・大山咋命は自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き
亀岡盆地を開拓した神。
その開拓の開始の鍬入れを「受けた」ので、請田と呼ばれているという。
社地の名を岩尾と云ったらしく、式内社・石穂神社に比定されている古社。
集落から遠いので、集落内に当社の遥拝所(請田神社)を設けていたが
永禄六年(1563)に兵火にかかり焼失。
寛永十三年、当地の豪族村上氏が、その跡地に八幡宮を創建し、
八幡宮の傍らに請田神社の頓宮を再建したという。
秋の大祭には、当社から八幡宮内の頓宮に神霊を迎える火祭が行われるという。
祭神が、京都松尾神社と同一であるためか、
また、保津峡の両端に対峙した位置にあるためか、
当社を式内社・松尾神社とする説もあるらしい。
社殿の屋根に菊紋が付けられていたが、
当社の神紋かどうかは未確認。
参道の鳥居 | 参道の神橋 |
保津川に面した境内 |
階段上に本殿 | 本殿と稲荷社 |
請田(うけた)神社
大山咋神と市杵島姫命(一名狭依姫命 宗像三女神の
一つで後世は弁財天という)末社に稲荷大神を祀る。永禄年間、兵火により社殿、文献共に焼失して縁 起不詳だが、祭神大山咋神は、丹波地方を 開拓するため、出雲地方から来られた神と いわれ、当社および川向うの桑田神社のある 保津川入口から開拓を始められたと伝える。 この開拓着工のクワ入れを受けたので社名を 「請田」と呼ぶようになったという。 毎年十月二十一日の秋の大祭は、前日の 宵宮祭に始まり、珍しい火祭で、本宮 から保津八幡宮内の頓宮に神霊を迎える 花々しい祭典が行われる。 −境内案内板− |
当社への道の途中(京都府亀岡市保津町宮ノ下)に保津八幡宮が鎮座。
元は当社の遥拝所であった場所で、
八幡宮本殿の隣に、請田神社頓宮が鎮座。
境内には、湯立神事の窯を据える「火床」が二つ置かれている。
保津八幡宮 |
左・八幡宮本殿と右・請田神社頓宮と、二つの「火床」 |