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伏見稲荷大社
ふしみいなりたいしゃ
京都府京都市伏見区深草藪ノ内町

時雨する稲荷の山のもみぢ葉は あをかりしより思ひ初めてき
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式内社 山城國紀伊郡 稲荷神社三座 並名神大 月次新嘗 |
京都府伏見にある。
JR稲荷駅の東すぐ。稲荷山の西麓に鎮座している。
『山城国風土記 逸文』に、
「風土記曰 稱二伊奈利一者 秦中家忌寸等遠祖
伊侶具秦公 積二稻葉一 有二富裕一
乃用レ餅爲レ的者 化二成白鳥一
飛翔居二山峯一 伊禰奈利生 遂爲二社名一」
とある。つまり、秦氏の遠祖・伊侶具秦公が弓で射た餅が白鳥となり、
飛翔して、山に留まったところ、稲になったということ。
風土記には、「社の木を持ち帰り、家に植えて、
根付けば幸福、枯れれば不幸になる」とつづく。
このあたりが、稲荷神社=商売繁盛の御神徳の起源だろうか。
創建は、和銅四年二月壬午の日に、伊侶具秦公が勅命により、
伊奈利山三ヶ峯に三柱の神を祀ったことにはじまるという。
秦氏ゆかりの神社。
式内社・稲荷神社に比定される古社。従来は三座であったものに、
式内社・御諸神社(四大神)や式内社・飛鳥田神社(田中大神)を
合祀されているという。
稲荷三座の祭神は、宇迦之御魂大神(下社・中央座)、
佐田彦大神(中社・北座)、大宮能売大神(上社・南座)。
さらに、田中大神(田中社・最北座)と四大神(四大神社・最南座)。
佐田彦大神に関しては、猿田彦神と考えられている。
田中大神は大己貴神。四大神は五十猛命・大屋姫・抓津姫・事八十神。
全国的に、超有名な神社なので、特に書くこともないが、
稲荷山全体が神域であり、境内だ。
山頂まではいくつかの道があり、非常に多くの祠が祀られている。
山全体が神域なので、あらゆる場所に無数に神社がある。
数えた人は居るのだろうか。
一之鳥居 |
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二之鳥居 ![]() | 楼門 ![]() |
拝殿 ![]() | 奥宮 ![]() |
伏見稲荷大社 宇迦之御魂大神を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、 四大神をまつる。全国四万におよぶ稲荷神社の総本宮である。 和銅四年(七一一)秦氏が稲荷山上に鎮祭し、弘仁七年(八一六)現地に 社殿が移されたという。仁寿二年(八五二)祈雨奉幣以来朝廷からたび たび勅使が遣わされ、五穀豊穣、家業繁栄の神として古くより庶民の 深い信仰を集め、今日、稲荷山には信者から寄進された朱の鳥居が 林立していて壮観である。社家には代々学者が多く、江戸初中期の 荷田春満は国学者として有名で、その旧宅が保存されている。 社殿(重要文化財)は応仁の乱で焼失した後明応八年(一四九九)に 再建され、最近も一部追加建築された。権殿(若宮)は本殿造営の時、 神璽を一時移しまつる御殿で天正一七年(一五八九)の建築、後水尾 天皇の仙洞御所にあった御茶屋(重要文化財)も当社に移建されている。 例祭は五月三日、一月五日の大山祭、二月の初午祭、十一月の 火焚祭(鞴祭)も多くの参詣者でにぎわう。 −境内由緒− 旧官幣大社。世に伏見稲荷として知られ、全国三万余を数える稲荷神社の総本社。祭神は、
宇迦之御魂大神 うかのみたまのおおかみ (下社・中央座) の五柱で、これを稲荷大神と称する。 −『神社辞典』− |
標準のコースで山頂まで歩いたが、他にも幾つかコースがあるようだ。
千本鳥居 ![]() | 千本鳥居 ![]() |
奥社 |
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一の峰 上ノ社 土祖神 ![]() | 二の峰 中ノ社 倉稲魂神 ![]() |
間の峰 荷田社 珍しい奴禰鳥居 ![]() | 三の峰 下ノ社 大山祇女神 ![]() | 四ヶ辻 荒神峰 田中社 猿田彦神 ![]() |
とにかく祠や神社、史跡が多いので面白そうなものだけ紹介。
奥宮の近くに白狐社。祭神は命婦専女神「阿小町」。
阿小町は昔船岡山の辺りに住む老狐夫婦だった。
畜生の身であるが稲荷神に仕えたいという願いがかない、
夫は小薄(おすすき)、妻は阿小町という霊狐になったという。
山中の参道脇に、多くの祠などが密集している場所が幾つかある。
そういう場所を御塚台と呼ぶようだが、
新池の側御塚台の中心に、雰囲気のある熊鷹社。
行方不明の人を探す時、池に向って手を打ち、
こだまが返ってきた方向に手掛かりがあるという。
長者社御神蹟の霊地には劒石が祀られている。
御膳谷神蹟は、一の峰・二の峰・三の峰を遥拝する要で
「大山祭 山上の儀」が斎行される聖地。
また、山中には清滝や晴明滝などの滝も祀られている。
白狐社 ![]() | 熊鷹社 ![]() |
劒石 | |
![]() | ![]() |
御膳谷神蹟 ![]() | 清滝 ![]() | 晴明滝 ![]() |
