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吉御子神社
よしみこじんじゃ
滋賀県湖南市石部西1−15−1

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滋賀県湖南市にある。
石部駅の南1Kmの石部西に鎮座。
JR線路の南側を走る118号線から南へ入る。
参道入口の左手に「内侍所御泊輦遺跡」と刻まれた石碑が建っており
右手には「吉御子神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、砂利の参道を進むと突き当たりに広い境内がある。
参拝は年末、休日の午後。
すでに陽は山に沈んでいたので、写真は暗め。
境内奥、石組の上に拝殿があり、その後方、階段上に中門。
中門の奥に、垣に囲まれた流造の本殿がある。
元治元年、社殿が大破したため
山城国上賀茂神社の旧社殿を移築したのが現在の本殿らしい。
本殿の階段左右に、金銀の美しい狛犬が座っている。
社伝によると、
崇神天皇六十八年、石部山に神降り
垂仁天皇二年、宇加之彦の子が、吉比古・吉比女の二神を
黒の御前に祀ったのが、当社の起源。
嵯峨天皇弘仁三年、山崩れにより、現社地に遷座し
承平五年、吉御子神社と改称した。
式内社・石部鹿鹽上神社の論社となっている。
『神祇志料』には、石部鹿鹽上神社について
「今石部駅に在り、上下両社とす。
上を吉姫明神・下を吉彦明神といふ。即駅中の生土神也」
とあり、当社の南東1Kmにある吉姫神社と一対の神社であるらしい。
また、『倭姫命世記』に
「倭姫命度坐時尓、阿佐加潟尓多気連等祖、
宇加乃彦之子、吉比女、次吉彦二人参相支、
爾時吉姫、地口御田、并麻園進」とあり
吉姫・吉彦の後裔である多気連が祀った神社であるという。
相殿の應神天皇と猿田彦命は、
かって境内社であった八幡社と白鬚社の祭神。
中門に、巴紋と木瓜紋が染められていた。
この二紋が、当社の神紋。
参道入口 |
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参道 ![]() | 参道 ![]() |
境内 ![]() | 拝殿 ![]() |
中門 ![]() | 中門から本殿 ![]() |
本殿 |
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吉御子神社
−境内石碑− |
【 吉御子神社 (湖南市) 】
