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宇治神社
うじじんじゃ
京都府宇治市宇治山田1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ橘

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式内社 山城國宇治郡 宇治神社二座
旧府社

御祭神
菟道稚郎子命

京都府の宇治市にある。
京阪宇治駅の南東500mほどの宇治山田に鎮座。
仏徳山(離宮山、大吉山)の麓に境内がある。

宇治橋東詰から川に沿って歩くと当社境内入口。
宇治川にかかる朱の朝霧橋のたもと。
源氏物語の像などがある公園のようになっている。
宇治川沿いに散策路になっているようで、
平日だけど社前を歩く人も多い。

朱の鳥居をくぐり参道を歩くと階段。
階段下の右手に手水舎があり、ウサギの像があるのだが撮影し忘れ。
手水舎ではカメラを肩にかけ、ハンカチを出しながら近づき
濡れた手を拭きながら離れるので、どうしても撮影し忘れてしまう。

当社にウサギの像があるのは、祭神・菟道稚郎子命の名にちなむ。
当社は、菟道宮とも呼ばれており、ウサギの道のお宮なのだ。

参道階段を上ると正面に拝殿。扁額には「桐原殿」とある。
桐原とは当地の地名らしい。

拝殿の後方にも鳥居があり、
階段を上ると朱の中門があり、垣に囲まれて流造の本殿が鎮座。

当社境内の後方には、宇治上神社の境内がある。

参拝は寒い二月、あいにくの曇天の朝。

祭神の菟道稚郎子命は、「古事記」に宇遅之和紀郎子、
「日本書紀」に菟道稚郎子、「播磨風土記」に宇治天皇とある、応神天皇の皇子。
渡来人の王仁や阿直岐に典籍を学び、
父・応神天皇にその才能を認められて皇太子に立てられた。
ところが応神天皇の没後、異母兄の大山守皇子が皇位を狙って菟道稚郎子命を攻撃。
菟道稚郎子命は策を用いて大山守皇子を宇治川に落として殺したが、
その後、異母兄の大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)と互いに皇位を譲りあい、
大鷦鷯尊を皇位に付けるために自殺してしまったという。

社伝によると、当社は仁徳天皇によって創祀。
祭神・菟道稚郎子命の死を悼み、菟道山上に墓を造り
墓の近くに社を作ったと伝えられている。

式内社・宇治神社二座に比定される古社。
二座とあるのは、菟道稚郎子命の他に、父・応神天皇も合わせ祀ったから。
ただし、宇治上神社では、宇治上神社と宇治神社で式内社・宇治神社二座とする。

当社を離宮下社、若宮と呼び、宇治上神社を離宮上社と呼んで
宇治神社、宇治上神社を両社一体の神社として
宇治鎮守明神。離宮明神、離宮社、離宮八幡宮とも称されたという。

「離宮」と呼ばれた理由は、
平安時代初期、天皇の離宮「宇治院」の鎮守として祀られていたからとも
祭神・菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」があったところだとも。

藤原氏が平等院を建立の後は、平等院の鎮守社として崇敬され、
治暦三年(1067)御冷泉天皇が、平等院から神社に行幸の後、
離宮明神に神階を授けたと文献上に登場する。

現在の祭神は菟道稚郎子命一柱だが
仁徳天皇も合わせ祀るとする説、
応神天皇を合わせ祀るとする説、
母・矢河枝比売を合わせ祀るとする説などがある。

社殿左右に境内社が祀られている。
社殿左手には、廣田神社、松尾神社、高良神社、伊勢両宮の四社。
右手には、住吉神社、日吉神社、春日神社。
春日神社の横には、伊勢神宮・橿原神宮遥拝所がある。

当社境内は源氏物語宇治十帖に登場する早蕨の古跡と伝えられている。


朝霧橋から社頭

鳥居

参道

拝殿(桐原殿)

境内

境内鳥居

社殿から鳥居と桐原殿

中門

本殿

中門

境内左の境内社
廣田、松尾、高良、伊勢

境内右の境内社
住吉、日吉、春日

中門と垣

境内隅(外側)早蕨之古跡

伊勢橿原遥拝所

宇治神社
御祭神事歴並略由緒
祭神、菟道稚郎子命
当社は仁徳天皇の創建にして往昔より離宮八幡宮という、史上所謂桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)これなり、抑も祭神菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)は応神天皇の皇子にして、夙に経籍を習い、儒道を修め博くその理義に通じ給う、ことに聴明叡智に坐しましかば、天皇深く御鍾愛あり、長子を凌きて皇太子と定め給う、御父応神天皇御崩御の後、命は天位を皇兄大鷦鶺命(おおささきのみこと・仁徳天皇)に譲りて此処に住はせ給う、されど皇兄位を践み給わず、互に相譲りて帝位を空ふし給うこと三年、命皇兄の御心の奪うべからざるを知り給うや、死を以て節を全うし給えり、皇兄深く痛哭哀悼し給えど今は詮術なければ、遂に天位を襲い給う仁徳天皇すなわちこれなり。しかれば此の御即位譲りのことは百世の美徳として普く世人の知る所なり、ここに於いて天皇その宮居の地に祠を建てて、命の神例を鎮祭せしめ給う、これ当社の創立なり。
命は初め百済の貢士阿直岐(あちき)および王仁(わに)に就て学び薀奥を極め給う、実に我国文教の始祖にして、その事蹟は長へに彜倫を叙し汎く治教を張れるのみならず、国運の隆興も亦大に負うところ甚少なからざるべし。
当社は古来極位の官社にして、歴朝の崇敬武将の信仰は申すもさらなり、殊に後冷泉天皇の尊崇厚く、宇治関白頼通公も亦深く崇敬し、毎年例祭の砌り幣帛を進め神馬を獻したり、また社家政所総長者神事奉行所のありしと、古史社伝社記に詳かなり、中古兵乱等のため、太く衰微せるも今なお古礼の存するものあり。
明治三十年皇太子殿下(大正天皇)本社に行啓ありて幣帛を供進せらる。
御神像および社殿は共に重要文化財なり、年中祭典行事の主なるものは、歳旦祭を初め祈年新嘗等の大祭、中祭、小祭、遥拝式の外に毎年十月一日献茶祭、五月八日例祭。

−『平成祭データ』−

京阪宇治駅の北、丸山に  Zenrin Data Com Maps display !!
当社祭神・菟道稚郎子の御陵である、ということになっている宇治墓がある。
ただし、伝承の菟道山上とは違う場所のようだ。


菟道稚郎子御陵の宇治墓

宇治墓

宇治墓


【 宇治神社 】

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