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平野神社
ひらのじんじゃ
京都府京都市北区平野宮本町1
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式内社 山城國葛野郡 平野祭神四座 並名神大 月次新嘗 |
西大路沿いにある。北野天満宮のすぐ北。
鳥居は派手で、扁額も大きいが、境内は渋い色調。
平安遷都の延暦十三年、あるいは長岡京遷都の翌年延暦三年の創祀。
式内社・平野祭神四座に比定されている古社にして大社。
一説には、当社の鎮座地は、
大和の今木、長岡京、現在地へと移動したという。
祭神については、いろいろと説があるようだが、
以下はその一例。
今木神は、今来神。New Comer の神で、百済系渡来人の祖神。
久度神は、岐(くなど)神で、道の神。
あるいは、竃(くど)神で、家の釜戸を守護する神、庚申。
あるいは、物部氏一族の久努氏の祖神。
古開神は、フルセキ・フルアキ・フルサキといろいろと読まれ、
物部氏の祖神。
比賣神は、上記のいづれかの神の妃か、
あるいは、巫女的立場の神。
不思議な祭神。『和漢三才図会』に記されていたが、本当かなぁ。
境内入口 | 境内鳥居 |
神門 | 残雪の日の拝殿 |
境内 |
神木 |
拝殿から本殿。雪の日に取り直し。 |
二棟ならんだ社殿。 右の第一本殿に今木神と久度神 左の第二本殿に古開神と比売神 |
出世導引稲荷社 | 猿田彦社 |
春日・住吉・蛭子・鈿女社 | 八幡社 |
延暦十三年(七九四)、桓武天皇の命によって当地(衣笠の地)に御鎮座。平安遷都に際し、御生母高野新笠姫を中心とする新進の大陸文化を導入した人々が平安の都づくりに優れた技術を用いた功績は多大であった。更に遷都後は外の護となったこと等に対して天皇の御親祭をみたもので、「延喜式」に皇太子みづから奉幣される定めになっている延喜式内社の名神大社。平安中期以後は二十二社の五位として、伊勢・賀茂(上・下)石清水・松尾につぐ名社であった。 また源氏・平氏・高階・大枝・清原氏・中原氏・菅原氏・秋篠氏等 八氏の祖神として崇められてきた。明治四年官幣大社に列し、洛西の総氏神と仰がれている。 現在の本殿(四棟)は、慶長三年・同九年、平氏の末裔で公家の西洞院時慶卿によって再建されたもので、「平野造り」または「比翼春日造り」と稱せられ、重要文化財。拝殿は、東福門院寄進によるもので「接木の拝殿」として有名である。掲示の三十六課歌仙は寛文年中、平松時量卿の寄進にして、その書は関白近衛基熈、絵は海北友雪。 −『平成祭データ』− 祭神四座 八姓の祖神である。桓武天皇の延暦年中に始めて造営する。 第一 今木神 〔いまき・景行天皇の子〕 日本武尊 源氏の神 第二 久度神 〔くど・日本武尊の子〕 仲哀天皇 平氏の神 第三 古開神 〔ふるあき・応神天皇の子〕 仁徳天皇 高階氏の神 第四 比売大神〔即ち〕 天照大神 大江氏の神 第五 県(あがた)社 天穂日命 中原・清原・菅原・秋篠の四姓の祖神 〔素盞嗚尊は天照大神の右の角髪に纏かれた珠を噛み、右の掌に置いて子を生み、天穂日命と名づける。土師連らはここから出た〕 〔拾(遺)〕千早ふる平のの松の枝しげみ千代にやちよも色はかはらじ 能宣 (『国花記』による)
−『和漢三才図会』− |
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