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賣太神社
めたじんじゃ
奈良県大和郡山市稗田町319

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奈良県大和郡山市にある。
住宅地と畑の真中。環濠集落の中に鎮座。
拝殿の奥へは入らなかったので、本殿の写真がない。
創祀年代は不詳。
環濠集落の中にあり、
古代大族であった稗田猿女君の邸があった場所と伝えられている。
猿女君の遠祖は天鈿女命であり、稗田阿礼命もその一族。
稗田阿礼命は、天武天皇の命により帝紀・旧辞を暗唱し
和同四年、太安麻呂がこれを記述して『古事記』となったのは有名。
猿女君の養田を、猿女田といい、祖神の鎮まる神社を猿女田神社と称したが
女田神社と略称され、売太神社へ変化したらしい。
拝殿の提灯や御守りに変わった神紋。
「太陽に勾玉」というらしい。
境内社の祠が一つ。
他に、池の中にも祠があったような雰囲気だったし
境内社が立っていたと思われる土台もあった。
資料によると、境内社は八柱神社、春日神社、嚴島神社、山王神社だそうだ。
鳥居 |
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社号標 ![]() | かたりべの碑 ![]() | 拝殿の提灯 ![]() |
拝殿 |
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池 ![]() | 境内社 ![]() |
この稗田の地は太古の昔より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏一族の居住地であって天武天皇の舎人(とねり)稗田阿礼はこの一族として出仕したのである。 天皇は阿礼が記憶力理解力共に抜群で学芸諸術の才にも秀でていたのをお褒めになって御自ら御精撰になった歴代天皇の御事績と建国以来の歴史・神話・伝説・歌謠を直接お授けになった。 この誦習った事柄を三十有余年後の元明天皇が太朝臣安萬侶に記録させられた書物が古事記である。之はわが国最古の文学書で古代人の生活・習慣・思想が書かれ祖先の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。今日阿礼さまの宏大無辺のご霊徳を偲び学問の神・知恵の神として信仰が厚い。 猿田彦命 天鈿女命の彦神であって土地・方位の神として全ての物事の初めすなわち新築・移転・旅立ち・結婚等に災難や悪魔を祓ってよい方に導き給うご霊験あらたかな神である。 天鈿女命 猿女君稗田氏の太祖で「天岩戸隠れの神事」にたらいを伏せて舞を舞われた女神でオタフク又はオカメの愛稱あり福の神、芸能の始祖神として親しみ信仰されている。 −境内案内より− 賣太神社御由緒 主斉神稗田阿礼命
当社は奈良県大和郡山市稗田(ひえだ)町319番地に鎮座しており、稗田阿礼命(ひえだのあれえのみこと)天宇受賣命(あめのうずめのみこと)猿田彦神(さるたひこのかみ)をお祀りしている。稗田の地は、太古より天宇受売命を太祖とする猿女君(さるめのきみ)(稗田氏)が居住していた。奈良時代に至り、阿礼さまがお生まれになって天武天皇に舎人(とねり)としてお仕え申し上げていた。阿礼さまは、人となり聡明で博覧強記に富んだ卓抜な才能の持主であったので、天皇は数多くある学者や名門出身の役人の中から特に廿八才の若い阿礼さまをお選びになり、天皇がご精選された歴代の神様のご事績、皇位継承や天皇のご事績、神代以来の各氏族の歴史等、数多くの事柄を勅語(みことのり)にて誦習(よみなら)わしお授けになった。この誦習った事柄を三十有余年後の元明天皇が、太安万侶さまに、「稗田の阿礼の誦習った事柄を記録せよ。」 とお命じになった。このようにして和銅五年(七一二年)正月二十八日に出来上がって天皇に撰上申し上げた書物が古事記である。古事記は上・中・下の三巻からなり、我が国最古の国史・文学の書物で、多くの神話・伝説が豊富にとり入れられている神典であり、又古代人の生活、習慣、思想が多方面にわたってうつし出されているのであるから、私達の祖先の考え方や生き方を偲ぶのにこよない手がかりとなる貴重な書物である。おもうに阿礼さまは、日本道徳の真髄を極め伝えられた文道の太祖であつて宏大無辺のご霊徳を仰ぎ迎えんとして全国より参詣される方が多く、ご神徳まことにあらたかである。副斉神天宇受売命、猿女君の遠租に当たる女神で、稗田阿礼命はその末裔(まつえい)である。天の岩屋の神事に、天宇受売命は、たけだけしい神霊が寄りかかり霊魂を誘発する鎮魂舞踊を演じ、天照大神を岩屋からお出し申し上げた女神である。又、天と地の分岐点において猿田彦神と出会い、神懸(かみがかり)により問答された神事などあって、後に猿田彦神とご結婚された。これらのご功績により、女性ではあるが、天皇から男性同様猿女君の姓を賜わり、その後男性も共に猿女君と称し、宮中に仕えられた。この宗族(そうぞく)が稗田の地に定住され、祖神を祀る賣太神社は、平安初期に官弊社に列せられたのである。天宇受売命は、後世「おたふく」「おかめ」と言われている女の福徳をそなえられた神様であるから福の神、鎮魂の神、笑いの神で、芸能の始祖神としてもご霊験まことにあらたかである。副斉神、猿田彦神、天宇受売命の彦神である。天孫、ににぎの命の降臨にあたって、天と地の分岐点に立って、天孫をお導きした神である。江戸時代には、猿田彦信仰厚く御神徳はすべての物事のはじめ即ち新築、移転、旅立ち、結婚等に災難や悪魔を祓(はら)ってよい方へ導き給うと、昔から諸事をなす際には、そのご霊徳を仰ぎ迎えんとして全国より参詣に来られる方が多い。−『平成祭データ』(原文ママ)− |
【 売太神社 賣太神社 】
