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比遅神社
ひじじんじゃ
兵庫県豊岡市但東町口藤字山姥547  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 但馬國出石郡 比遲神社
旧村社

御祭神
多遲摩比泥神

兵庫県豊岡市(旧但東町)にある。
出合にある但東総合支所の北東6Kmほどの
但東町口藤に鎮座。

太田川に沿って、482号線を進み、
さらに2号線(宮津養父線)を2.5Kmほど進む。

口藤の集落で2号線から北上し、
家ノ奥川に沿って、林道のような道を進む。
2号線から分岐する場所、口藤集落の入口に
「比遅神社」と刻まれた社号標が立っていたような気がするが
記憶は曖昧で、断言はできない。
とにかく、口藤集落から500mほど行くと、
道の左手に、当社入口の鳥居が立っている。

境内は比治山中腹にあり、家ノ奥川の側。
鳥居をくぐり、階段を下ると
家ノ奥川にかかる橋(宮前橋)があり
橋を渡り階段を登ると、杉林の中に境内がある。

社殿は、山を背に立っており
拝殿の後方の本殿は覆屋根の下。

創祀年代、由緒は不詳。
式内社・比遅神社に比定されている古社。

『但馬國司記』に
「延喜三年(784)夏六月 葛井宿禰比遅麿 出石主帳に任ず」
とあり
「葛井宿禰比遅麿 其祖 味散公を 藤ノ森に祀る。比遅神と云」
とあるらしい。

上記のように
比遅」の社号について、
葛井宿禰比遅麿の比遅からとする説明以外にも
異説がある。

『資母村誌』に
「丹後國丹波郡比治麻那爲神社と同社なり。
後の山を比治山、又はいさご山、又葦占山、
或は眞名井と云ふ。一山四名あり、
伊勢外宮の本つ宮なり。藤ヶ森は比治が森なり。」
とあるらしく、「比治=比遅」とする説。

『校補但馬考』に
「比遅は藤の義にして、古事記載する所
伊豆志袁登賣神に婚ひし春山之霞壮夫夫妻、
又は其母を祭れるものにあらさるかと、他なし、
霞壮夫の母布遅葛を取りて、
一宿の間に衣褌及襪沓を織り縫て服せしめたるか爲なり。
村名今に至り傳て藤ヶ森と稱す考へさるへからす。」
とあり、「藤=比遅」とする説。

さらに、祭神・多遲摩比泥神から
「比泥=比遅」とする説がある。

多遲摩比泥神は天日矛の孫であり
多遅摩毛理の祖神。

社殿の右手に境内社が一つ。
山姥稲荷と呼ばれているものだと思う。

社殿の両側面には青い網のようなものが設置されているが
これは何のためにあるのだろうか。


境内入口

鳥居

境内参道

境内

境内

拝殿

社殿

本殿


【 比遅神社 (豊岡市) 】

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