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平内神社
ひらうちじんじゃ
兵庫県美方郡香美町香住区余部字上中2900−2

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式内社 但馬國美含郡 伊伎佐神社三座 |
兵庫県香美町香住区にある。
山陰本線・餘部駅の北西へ3Kmほどの御崎集落に鎮座。
壇ノ浦の合戦(1185)で敗れた平家の武将達が
隠岐や対馬へ逃れようとしたがシケのために因幡や但馬へ漂着。
御崎は、平家一門のうち門脇宰相平教盛を大将とし、
伊賀平内左衛門家長、その子光長、矢引六郎右衛門、
小宰相局など7人が流れ着き平家再興を願いながら住み着いた土地。
集落入口に駐車場があり、記念の石碑や墓石が立っている。
御崎集落の平家村碑 |
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その駐車場から少し歩いた場所に境内。
境内の近くには、門脇宰相平教盛等の墓。
境内入口に鳥居が立ち、鳥居脇に大きな木。
境内には、御崎復興の石碑や石祠がある。
社殿は木造の本殿覆屋。中に小ぶりな祠が一つ。
通称は、平内さん(へいないさん)。
正治二年(1200)六月の創祀。
現在の祭神は野椎神だが
社名が示す通り、本来は当地に住みついた平家の武将
平教盛と伊賀平内左衛門家長の御霊荒神を祀る神社。
当社では、平家再興を矢の的に託して
101本の矢を射る「百手の儀式」が行われているらしい。
寛延三年(1750)、御崎大明神と改称。
宝暦九年(1759)、三寶荒神山王権現と改称。
宝暦十四年(1764)三月二十一日、遷宮を行い
安政二年(1855)六月、本殿を再建。
嘉永元年(1848)九月、山王権現を再建し正遷宮を行った。
明治六年十月、村社に列した。
式内社・伊伎佐神社三座に関して、
一般的には、餘部駅近くの伊伎佐神社が比定されているが
『神祇志料』では、伊笹岬の麓に比定し、
『但馬考』では、御崎集落の三寶社とされている。
上記にある通り、この三寶社は当社のことだろう。
境内入口 |
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社殿 ![]() | 内部の本殿 ![]() |
石祠 ![]() | 石祠 ![]() |
境内近くにある門脇宰相平教盛の墓 |
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御崎集落のはずれに日吉神社がある。
由緒は判らないが、境内の社号標には、
平家一行が当地に住んで800年を記念して
改築された平家守護神日吉神社と刻されていた。
平内神社と日吉神社で「三寶社山王権現」だったものが、
嘉永元年に再興され、遷宮された山王権現が当社・日吉神社だろう。
日吉神社社頭 |
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日吉神社鳥居 ![]() | 参道 ![]() |
日吉神社境内 |
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