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府守神社
ふもりじんじゃ
和歌山県和歌山市府中

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和歌山市府中。阪和線紀伊駅の西1Kmほどのところ。
7号線の北側、道路沿い、紀伊団地へ入る信号地点に鳥居がある。
社殿の後方を阪和線が通り、その北には阪和自動車道が走っている。
現在も交通の要所なんだろう。
参道を進むと、広い敷地に、社殿へ続く真っ直ぐな道。
本殿は、撮影が難しいのだ。
社殿の額には「聖天宮」とある。
神紋は、社殿内の提灯についていたものだが、自信は無い。
本殿の欄間に「輪宝」が象られていた。
『和歌山県神社誌』によると『三代実録』に「従五位上」とある古社。
ただし『三代実録』に記されているのは石見国の府中神のことだと思う。
『南海道紀伊國神名帳』には「従四位上府守神」とあり
官幣大社の竈山等と同格、式内社の刺田比古や小田よりも格が上になっている。
国府を見守る神として創祀されたと思われるが、
中古、仏教の影響から大聖歓喜天を祀る聖天宮と称されるようになったらしい。
また、倭武命の白鳥になって昇天したという伝承からか、白鳥の宮とも称された。
この「聖天」と「昇天」が同音なのが面白い。
明治になって府守神社と改称し、明治十年六月に村社に列した。
『南紀神社録』の岩出庄宮村に、
「総社権現、縁起曰、覚鑁上人、康治元年建立焉」
とあるが当社との関係は不明。
隣の郡にあたるので、当社のことではないだろうが。
境内入口 |
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鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
境内社殿 |
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扁額に聖天宮 ![]() | 境内社? ![]() |
当社は倭武命を御祭神とし、由緒によれば貞観十七年(八七五年)、当地に置かれた紀伊国国府の守護神として鎮座し、朝野の信仰篤く中古白鳥の宮とも聖天宮とも称した時代を経て明治以来旧号に復し現在に至っている。府中の産土神である。当社、参道に和歌山市が建てた「紀伊国府跡」の標柱がある。 −『平成祭データ』− 紀伊村大字府中字森脇に鎮座す。 本国神名帳に従四位上府守神、三代実録に紀伊国従五位下府中神等とありて、府守 神、府中神は同一で倭武命を祀る。国府の地であった為府守の神威は府中神と唱え 奉ってゐたのを、中世佛徒の妄説に依って聖天宮と改称した。それを維新後旧号に復 して府守神社といふに至ったのである。明治十年村社となる。 −神奈備提供 『海草郡誌』大正十五年五月、海草郡役所発行− |
【 府守神社 】
