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西宮神社
にしのみやじんじゃ
兵庫県西宮市社家町1−17  Zenrin Data Com Maps display !!


変わり三つ柏


三つ巴

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旧県社

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境内 式内社 摂津國莵原郡 大國主西神社 鍬靫 境内社大国主西神社

御祭神
第一殿 西宮大神えびすさま
第二殿 天照大神 大国主大神
第三殿 須佐之男大神

阪神西宮駅の西にある。通称、戎の宮
商売繁盛の神様で、全国恵比寿神社の総本社。
関西では有名な神社だ。

明治三年、西宮神社は大国主西神社と社名を変え、
明治七年、県社に指定されるが、その後、社格取り消し。
社名を西宮神社に戻し、境内社を大国主西神社として、
両社ともに県社になった。

境内は広く、三棟ならんだ社殿も美しい。
もとは、廣田神社の摂社だったが、今は独立している。

境内には多くの境内社があるが、ゆっくり回る時間がなかったのが残念。

境内社の大国主西神社は、式内社とされているが、
これは、廃絶した式内社の所在が判明するまでの暫定にすぎない。

おなじく境内社の百太夫神社は、傀儡子の祖を祀るもの。
西宮神社が、全国区になった要因は、恵比寿絵の版権を得たことと、
百太夫に代表される傀儡子達が全国を渡りあるいたからだ。

西宮神社の「西」、大国主西神社の「西」の意味には色々な説がある。
・旧莵原郡の西の境界にあった。
・廣田社の西にあるお宮。(実際は南にある)
・津門集落の西、畿内の西、難波の西。
・昔、大国主を祀る神社があり、その西にあった。
・昔、大国主を祀る神社が、東西にあり、その西の社。
などなど、確定していない。

西宮駅から西へ向かうと、赤門と重要文化財の築地塀がある。


西宮駅側の赤門

築地塀と灯篭

参道を進み、右に曲がると、美しい拝殿があり、後方に三棟ならんだ社殿。


参道

参道

参道鳥居

社殿

拝殿

拝殿

拝殿奥に本殿

本殿屋根

本殿

社前の橋

拝殿と神馬像

拝殿の左奥に、式内社大国主西神社がある。
もとは阿弥陀堂があった場所で、表大門にあった不動堂を移築した。
単に大己貴社として西宮神社の末社だったが、
明治七年に、式内社大國主西神社として上申。
その所在が判明するまでの暫定的措置として、その名が認められた。


大国主西神社

大国主西神社扁額

大国主西神社 大名持命少彦名命

西宮神社 兵庫県西宮市社家町。
 旧県社(現、別表神社)。西宮大神(蛭子命)を主神に天照大神大国主大神須佐之男大神を祀る。当社はすでに平安時代に当社地に鎮座されていたことは、境内より出土の蓮華文古瓦により明証され、また『伊呂波字類抄』を徴しても明らかである。高倉上皇の奉幣、後奈良天皇の御寄進があるほか、広田神社との神縁により神祇官の長官白川伯王家との関係が深く、常にその参詣を得ていたことは伯家文書にも詳しく記されている。中世以来えびす神を福徳の神とする信仰が広まり、大漁満足・海上安全・商売繁昌に霊験ありと全国に知られていったが、その効を一層深めていったのは、神社の社人として境内の北隣に住居していた「傀儡師」がえびす神の人形操りを行って津々浦々に巡回していったことも大きな要因となっており、現に人形操りの祖神として百太夫神が境内に祠られている。江戸時代に入り、徳川家綱の寄進により本殿(三連春日造七六平方メートル)が再建されたが、これを契機として全国各地に頒布していた恵比須神の神像画札の版権を徳川幕府から得たことは著名であり、現在も全国に配布されている。例祭は九月二二日に行われ、神幸祭が毎年斎行されているが、最も盛大な祭典は一月一〇日の十日戎で、阪神間最大の祭りとして一〇日前後の三日間は境内に賽者が満たされる。この他、六月一四日に行われるおこしや祭は、当社鎮座の由来を今に伝えるもので、寄神信仰の基本的な姿がここでも見出され、一一月二〇日には誓文祭(全国各地ではえびす講の祭)が行われる、現在の社殿は戦災後昭和三六年に再建されたものであるが、三連春日造の国宝建造物をその通り素木造にて復元された。表大門(桃山時代)、大練塀(室町時代)はともに重文に指定されている。社宝に慶長一五年(一六一○)銘の銅鐘があり市指定文化財となっている

−『神社辞典』−


 西宮 西宮町の西(西宮市社家町)にある。
  祭神 三座 天照大神素盞嗚尊蛭児尊〕 相殿〔左は大己貴尊、右は事八十神〕
『日本紀』にいう。伊弉諾尊伊弉冊尊二神は蛭児神を生まれたが、三歳になっても足が立たなかった。そこで天磐橡樟船に乗せ、風に任せて放ち棄てた。
  (夫木)かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足たたずして(匡房)
(以上『国花記』による)
『神社啓蒙』にいう。俗に夷三郎というのは誤りである。夷は別に一気の神である。蛭子は天照大神の弟である。
 ある紀にいう。神武天皇が長髄彦と戦った時、天皇の軍は矢が尽きて退却した。椎根津彦神(大和の国神。大和国造の祖という)が、すぐに持っている箱から数万の矢を出し、天皇の軍は気力を得て逆賊を射て退けた。また食が尽きれば箱の中から食を得て諸軍卒らに与えた。また、箱の中から数々の宝物を出してないものと代えてきたため、御軍は豊饒になった。天皇は大そう不思議に思われ、汝はどうして自在神力の術があるのか、と問われた。椎根津彦神は天皇に答えて、我は由緒ある神である。後日になって申そう。今は強いて問うな、と言った。その後天下を治めた時、天皇はまだこの由緒を問われた。椎根津彦神は、我は天祖の始めの子、蛭子命の大神である。今来たって汝尊を助けるのである。我は世の富事を司る、と言った〔今瀬津(摂津)国広田大神祠に在す西宮の大神である。俗に得美栖と称する〕。
  畋を守って幸を得 市には賈を守って幸を得 田には種を守って幸を得 軍には戦を守って幸を得 朝(みかど)には事(みやづかえ)を守って幸を得る。天下の富持神である。在って広田国に住む、といわれたという。
 祭 正月十日 村民は九日朝から夜になるまで戸を閉して出入りしない。これを居籠り(いごもり)といい、一風変っている。

−『和漢三才図会』−

境内社は多い。以下の他にも沖恵比須神社などがあるらしい。


梅宮神社 酒解神

南宮神社末社児社 児尊

祓所

廣田神社摂社南宮神社 豊玉姫神市杵島姫神大山咋神葉山姫神

庭津火神社 奥津彦神奥津比女神 社殿はなく塚

神池に灯籠

宇賀魂神社 宇賀御魂命

市杵島神社 市杵島神

参道に並ぶ灯籠

松尾神社
大山咋神住吉三前大神猿田彦命

稲荷を合祀の神明神社
豊受比女神

六甲山神社 菊理姫命

百太夫神社 百太夫神

火産霊神社 火皇産霊神


【 西宮神社 西宮えびす神社 】

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