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赤淵神社
あかぶちじんじゃ
兵庫県朝来市和田山町枚田上山2115

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式内社 但馬國朝來郡 赤淵神社 |
兵庫県朝来市(旧和田山町)にある。
和田山駅の南西3Kmほどの枚田に鎮座。
円山川沿いの道路から、500mほど西に入った所。
境内入口の鳥居から階段を登る。
階段脇の社号標には「赤淵神社」とあるが、
鳥居扁額には「赤渕神社」。
「渕」「淵」どちらでも構わないようだ。
階段を登ると、楼門・神門・勅使門の順に並んでいる。
拝殿後方に、覆屋の中に本殿。
室町時代初期にの作で、三間社流造だが、未確認。
社伝によると、継体天皇25辛亥年9月創建。
日下部氏の奉祭する神社で、
一説には、日下部氏の祖・表米宿禰命が外寇討伐のおり、
沈没しかけた船を、大海龍王が、アワビの大群を用いて
救ったといい、大海龍王神=赤淵明神と考えられている。
また、一説には、表米宿禰命が外寇討伐のおり、
大風が吹いて船舶が破壊された時、粟鹿神に祈ったところ、
神験があり、これを祀ったとも云われ、
赤淵明神を粟鹿神と同じ神とも考えられている。
赤淵の名は、赤渕足尼命からとられたものと思われるが、
赤渕足尼命は、表米宿禰命の祖。
境内社が幾つか有り、確認できたものは、
枚田稲荷神社、秋葉神社、三寶荒神、絹巻社、金刀比羅宮。
その他、小祠がいくつかある。
覆屋には金の木瓜紋があり、勅使門には桐紋も見える。
多分、木瓜紋が正しいとは思うが、参考に桐紋も掲載。
鳥居 ![]() | 楼門 ![]() |
神門 ![]() | 勅使門 ![]() |
社殿 |
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本殿覆屋 ![]() | 拝殿 ![]() |
秋葉神社、三宝荒神、絹巻社、 金刀比羅宮 ![]() | 池の境内社 ![]() |
稲荷社 ![]() | 護国神社 ![]() | 境内社石碑 ![]() |
赤淵神社
赤淵神社の祭神は、大海龍王神、赤渕足
尼神、表米宿彌神の三神です。赤渕足尼命
は表米宿彌命の祖神です。神社略記によると大化元年(六四五)、表 米宿彌命が丹後、白糸の浜に来襲した新羅 の賊を討伐した際、沈没しかけた命の船が、 海中から浮かび上がった無数のアワビに助 けられたので、命はそのアワビを持ち帰り、 赤淵神社に祭ったとされています。大海龍 王は海神で、アワビを使い難を救う神であ るといわれています。 その後、赤淵神社の祭礼にはアワビの 神事が行われ、近隣では今でもアワビを 食べない風習が残っています。 −境内案内− 赤淵神社勅使門
この門は、勅使参向の際に用いられたもの
である。元禄7年(1694)に、八木城主八木勘
十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年
(1797)に修理したと伝える。円形の本柱に、
前後2本ずつの控柱を立てた四脚門形式で、
材質は欅が使用されており、切妻造、桟瓦葺
である。扉の上部に見られる鳳凰の透し彫り
や、木鼻、蟇股などの建築細部に見るべき特
色があり、但馬地方では数少ない江戸中期の
建物である。−境内案内− 赤淵神社由来記
仰 赤淵大明神 人皇始以来第九代開化天皇御代也 是時皇子四道将軍祀彦坐王
是粟鹿大社之流也 彦坐王為但馬國造子孫代々國造而 司神事執行政務開
拓國土劃治水振興農業以愛民生偉業烈烈恩澤普及 自是營一祠祀歴代國造赤淵
大明神是也號日下部表米宿禰命 赤淵宿禰五世孫而忠功有奉聞 丹後丹波但州三箇國可為 守賜宣使本國也 因在所窮見給枚田郷内高山麓淵有之淵尋赤淵云 平城守東向赤淵大明神奉祝之 宮也 赤淵神社合祀久世田庄勘納岡表米明神奉祝 然而惣名日下部姓始祖神表 米御子在所分附給 朝倉 絲井 奈佐 日下 八木 本山 太田垣 宿南 姓 是也 属者尊崇殊厚是皆在所名也 日下部表米流丙与繼為子孫不依上下男女可奉 仰 昭和四十五年三月二十七日赤淵神社為國重要文化財 枚田郷赤淵神宮司佐 宗氏同郷地頭枚田氏始氏子連之厚思奉謝 茲来裔氏旌考證家傳祈念之建碑傳永 世者也 −境内石碑− 赤淵神社本殿
本殿は、室町時代初期に建てられたもので
三間社流造、こけら葺、桁行4.8m、梁間3.1m
正面と両側面に高欄付縁をめぐらせている。
身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子
をはめ、中央には階段を設けている。再三改
修のあとはあるが、蟇股、懸魚、妻窓などに
当時の建築様式を残している−境内案内− |
【 赤淵神社 赤渕神社 (朝来市) 】
