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高藏神社
たかくらじんじゃ
京都府綾部市西坂町宮ケ嶽21

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式内社 丹波國何鹿郡 高藏神社 |
京都府綾部市にある。
綾部駅の北西12Kmほどの西坂町に鎮座。
9号線(綾部大江宮津線)を進み、
493号線と分岐する付近で南へ入る。
福知山市との境に近い場所にあり、
資料では西坂町宮ケ嶽(宮ケ岳)と記されているが
地図で確認すると西坂町高倉となっているようだ。
社頭には砂利の広場があり、
手水舎の横に、牛頭天王を祀った小祠。
鳥居をくぐると、参道正面に本殿覆屋があり、
右手に摂社・八幡神社、左手に摂社・若宮神社が祀られている。
創祀年代は不詳。
大蔵大明神、高倉大明神とも称された神社で、
式内社・高藏神社に比定されている古社。
もとは、現在地の南にある宮ケ岳山頂に鎮座していたが
古代のある時期に現在地に遷座。
祭神は、建内宿禰。
高倉下命とする説もあるようだ。
社伝によると、
源頼光が大江山の鬼退治の際、当社に祈願し、
鬼射祭を行ったという。
杉の板に「鬼」の文字を書き、三人の子供に射抜かせるという神事で、
今でも行われているらしい。
境内左手、若宮神社の左側には、
稲荷神社の小祠、厄除神社と大山祇神社の石が祀られているが、
もう一つの大きな石に何かが祀られている様子。
本殿覆屋の屋根に、三つ巴紋が付けられている。
八幡系の神社なので、これが神紋だと思うが。
社頭 |
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手水舎と牛頭天王 ![]() | 鳥居 ![]() |
境内 |
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本殿 |
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境内左境内社 ![]() | 八幡宮 ![]() |
高蔵神社
物部村誌には、大字西坂小字宮ヶ嶽に鎮座、祭神は武内宿禰であって年月は不詳であるが共延喜以前の創設である。初めは宮ヶ嶽の頂上に祭ってあったのを中古現地に遷し祭ったものであるという。物部村宛の指令は次のとおりである。何鹿郡第三区西坂村「其村鎮座高蔵神社延喜式内に相違無之今般詮議決定候条此旨相達候事」明治十年六月京都府とあり、社名(号)については、「新訂増補国史大系延喜式」には、高蔵神社(タカクラカミノヤシロ・タカクラカムヤシロ)の二種類乃訓がつけられており、中院家本には「高蔵神社」と訓は空白となっている。社名のいわれはわからないが、今も小字名に「高倉」があり、律令制時代にここに食料などを保管する高蔵が建立されていたのか、その由緒から社名がつけられたものと思われる。今の御社殿は、南方に聳える宮ヶ嶽の麓に東面して建つ。本社の本殿は、棟札から、享保14年(1729年)九月吉辰に建立されているが、これは多分再々建であろうと考えられる。当社の特異神事として社伝記録に「源頼光が大江山の鬼退治の際、大江山山系が一望できるこの高蔵神社に参詣し、諸願成就の上は再度参拝すると祈宣し、その前兆として、鬼射の神事を執り行ったと云う。今にこの神事が三月二十八日の脇宮、八幡宮社の例祭りの日に神事として執行されている。それは、長さ一尺幅三寸の薄い杉板の1枚に、鬼の字を書き、別の1枚の杉板には、左馬の字を書き、各々を庭中に建てた的の上につるし置き氏子中の両親がそろった3人の男子児童が半弓を以て先に鬼の字を次に左馬の字を射抜かしむ。」(社伝記録文書より)とある。 −『平成祭データ』− |
【 高蔵神社 高藏神社 (綾部市) 】
