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大荒比古神社
おおあらひこじんじゃ
滋賀県高島市新旭町安井川844  Zenrin Data Com Maps display !!


四つ目

式内社 近江國高嶋郡 大荒比古神社二座
旧郷社

御祭神
大荒田別命 豊城入彦命
相殿 少彦名命 仁徳天皇 宇多天皇 敦實親王

滋賀県高島市にある。
JR湖西線新旭駅の西3Kmほどの安井川に鎮座。
安曇川の北岸。

鳥居をくぐり参道を歩くと、予想以上に広い境内だった。
参道には幟が立ち並んでいた。
参拝はゴールデンウィークの連休中。
案内板によると、5月4日に、例祭・七川祭が行われるらしい。
立ち並ぶ幟は、祭の名残りなのかもしれない。

階段を上ると、正面に拝殿。
拝殿の後方、垣の中に本殿がある。
本殿の側面は板で覆われているが、
中門から本殿正面を拝見できる。

創祀年代は、不詳。

社号の「大荒比古」は、荒れ狂う水、水害を意味しているという。
鎮座地は、谷間を流れていた安曇川が、
田園地帯へ流れる込む、出発点にあり、
安曇川の氾濫を鎮めるために祀られたと考えられているらしい。

式内社・大荒比古神社の論社であるが、
昔は、河内大明神とも呼ばれていたことから、
『三代実録』に貞観五年従五位下を授けられた阿度河神とも
川内神とも考えられている。

主祭神は、大荒田別命と豊城入彦命
相殿に祀られる神々は、
当地・高嶋郡に勢力のあった近江源氏佐々木氏の祖。

当社は、佐々木氏と深い関係にあったようで、
当社の神紋である四つ目結は、佐々木氏の家紋でもある。


鳥居

境内

境内

社殿

本殿

本殿

由緒

 神社の草創は不詳であるが、今より約1200年前、寛平元年(889年)までの祭神は豊城入彦命と大荒田別命の二柱であった。豊城入彦命は、崇神天皇の皇子で、その四世孫が大荒田別命である。大荒田別命は大野氏の祖である。相殿に配祀の四座は、佐々木信綱の子、高信が比叡谷城にあった嘉禎元年(1235年)本領佐々木における累代奉祀の四神を当社に合祀し(この時代を河内大明神と称す)地主権現とした。兵火のため、社殿灰燼になったが、天正二年(1574年)社殿を再建。天保三年(1647年)領主小浜侯酒井忠勝は社殿及び神輿を修理した。文化七年(1810年)現在の社殿建立、明治十六年郷社に列せられ、大正三年現在の位置へ改築。また鳥居は明治十七年建立、昭和三十一年現在の石造鳥居を建立した。

−『平成祭データ』−



【 大荒比古神社 (新旭町) 】

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