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多遅摩毛理 |
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多遅摩毛理
たぢまもり
別名
田道間守:たぢまもり
……
たぢまもり
別名
田道間守:たぢまもり
……
- 多遅麻毛理は、天之日矛の子孫。三宅連の祖。菓子の祖神。
- 天之日矛は前津見(『日本書紀』では摩多烏)と結婚して、多遅摩母須玖(『日本書紀』では但馬諸助)を生んだ。
その子孫は多遅摩斐泥−多遅摩比那良岐と続き、この比那良岐の子が多遅麻毛理、多遅摩比多訶、清日子の三人。
『日本書紀』では、多遅摩斐泥は但馬日楢杵とあり、そのあと「日楢杵、清彦を生み、清彦、田道間守を生みきといふ」とあって、 『古事記』と『日本書紀』では多少系図の位置が異なる。 - 多遅麻毛理(『日本書紀』では田道間守)は、第十一代・垂仁天皇の命によって、非時の香菓(トキジクノカグノコノミ)を求め海を越えて常世国に渡った。
そして十年かかって果実つきの枝を持ち帰ったが、天皇はすでに崩ぜられていた。
多遅麻毛理は持ち帰った半分を皇后に献じ、残りを亡き天皇の御陵に捧げて、歎き悲しみながら死んだ。
景行天皇は、これを哀れみ、垂仁天皇御陵そばの池の中嶋に葬られた。よって多遅麻毛理を祀る神社の多くは「中嶋」と呼ばれる。 - 非時の香菓は今の橘ともいわれている。また香菓を菓子と考え、多遅麻毛理は、菓子の祖神として崇敬されている。
多遅摩毛理 を祀る神社
(玄松子が参拝した神社のみ)
(玄松子が参拝した神社のみ)
中嶋神社 | 兵庫県豊岡市三宅1 | |
能登生國玉比古神社 氣多本宮 | 石川県七尾市所口町ハ48 | |
太宰府天満宮 境内 中島神社 | 福岡県太宰府市宰府4−7−1 | |
湯神社 境内 中嶋神社 | 愛媛県松山市道後湯之町 |
【 多遅摩毛理:玄松子の祭神記 】