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都怒我阿羅斯等 |
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都怒我阿羅斯等
つぬがあらしと
別名
于斯岐阿利叱智干岐:うしきありしちかんき
……
つぬがあらしと
別名
于斯岐阿利叱智干岐:うしきありしちかんき
……
- 都怒我とは、角額のことで、額に角がある人のこと。
- 『日本書紀』垂仁天皇の条に、崇神天皇の御代、意富加羅国の王子・都怒我阿羅斯等、またの名、于斯岐阿利叱智干岐が、
日本へやってきたとある。
最初、穴門についた時、その国の伊都都比古が自分を国王だと名乗ったが信じられず退出し、
出雲国を経て笥飯(けひ)の浦に到着し、角鹿と名づけたとある。
都怒我阿羅斯等は、白石から生れた姫神を追って日本へ来たともあり、その姫神は、難波に至って比売語曽社の神となった。
- 新羅の阿具沼の辺で、一人の女が昼寝をしていた。その陰部に日光がさし女は赤い玉を産んだ。
その玉から変じた美女・阿加流比売を、新羅の王子・天之日矛は妻とした。
ある日、天之日矛は気嫌を損ね、激しく阿加流比売を罵った。
阿加流比売は「私はあなたの妻となるべき女ではない。祖国へ帰ります」と言って小舟を操り、日本に戻って難波で暮した。
この天之日矛神話との類似から、都怒我阿羅斯等と天之日矛を同神とする説がある。 - 崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)の崩御後、垂仁天皇に三年仕え、天皇に帰りたいかと聞かれ「帰りたいと答えた」。
そこで天皇は「先皇の名、御間城の名をとって国名とせよ」といわれ、赤織の絹を賜り、返された。
ここから国名は任那となった。ところが新羅の人がそれを聞いて怒り、兵を起こして蔵に納めた絹を奪った。
そこから任那と新羅の争いが始まった。
【 都怒我阿羅斯等:玄松子の祭神記 】
