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多氣神社
たけじんじゃ
島根県松江市上宇部尾町331
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式内社 出雲國嶋根郡 多氣神社 |
松江市の東端、中海に臨む位置にある。
南北に走る260号線から、西へ入る道路の交差点。
上の写真は、境内から中海を臨んだところ。
ということで、社殿は東向き。
木々や雑草が刈り取られ、「散髪後のプードル」のようだった。
手入れのされていない神社よりは、はるかにましだが。
上宇部尾村にあった村社・竹宮神社(武甕槌命)と
無格社・津森神社(経津主命)を合祀した神社。
女岳山麓にあった竹宮神社が上社、
当地にあった津森神社が下社の関係だったが、
上社・竹宮神社が参拝に不便であるため、
下社・津森神社を竹宮神社に合併合祀した後、津森神社跡へ遷座し、
上社・竹宮神社の古号である多気神社に戻したという。
この竹宮神社が式内社・多気神社だと考えられている。
天文年中より「多気」の字を「竹」に替えて竹宮と称したという。
『ガラン』としていた印象だが、中海に面したロケーションは良い。
社殿も、スッキリとして美しい。
境内社の祠が一つある。
『神国島根』によると、天満宮らしい。
神紋は、亀甲に「上」の文字。
上社・竹宮神社を表しているのだろうか、よくわからない。
鳥居 |
境内社殿 |
本殿 | 本殿 | 境内社 |
神社明細帳によれば、次のように記載されてい
る。即ち上宇部尾村には、従来から村社竹宮神社と無格社
津森神社の二社があった。竹宮神社は、もと多気社と称し
ていたが、天文年中(一五三二−一五五五)多気を竹にかり
て竹宮と称するようになった。ところが同社は女岳の山麓
にあって氏子の民家から遠隔地ゆえに参拝に不便であっ
た。自然の成り行きとして中海に臨む津森神社に厚く竹宮
神社に薄くなる傾向があった。明治三十九年神社整理の御
達示に基づき、氏子協議のうえ、明治四十年五月十六日津
森神社を竹宮神社に合併し社名を古に復して、津森神社の
地跡に鎮祭すべく出願した。同四十年七月十日許可され、
翌四十一年五月三日合併を終り、社名を村社多気神社と復
古したというのである。 新神社明細帳も同趣の由緒を記している。即ち、「当社 ハ延喜式内ノ古社ナリ。然ルニ従来當所ニハ村社竹宮神社 ト無格社津森神社二社アリ。竹宮神社ハ元多気社と称ヒ 居タリシモ天文年中ヨリ多気ヲ竹ノ字ニカリテ竹宮ト称ヒ 然シテ同神社ハ女岳ノ山麓ニアリテ参拝ニ不便ナルヲ以テ 明治卅九年神社整理協議津森神社ヲ竹宮神社二合併ノ上更 ニ津森神社地跡ニ鎮祭明治四十一年五月三日シ社名ヲ村社多気神社ト復 古神饌幣帛供進指定大正四年神社ナリ」というのである。『八 束郡誌』は神饌幣帛供進社指定を大正五年二月廿一日とし ている。 −『式内社調査報告』− |
【 多気神社(印刷用ページ) 】