[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
穴切大神社
あなぎりだいじんじゃ
山梨県甲府市宝2−8−5
|
||
山梨県甲府市にある。
甲府駅の南西1Kmほどの宝に鎮座。
甲府駅から500mほど南下し、警察署のある交差点を西へ。
その道の突き当たりに境内入口がある。
境内入口は東向き。
入口の右手に社号標が建っているが
参拝日が11月だったためか、「七五三詣」の案内板が立て掛けられていた。
鳥居をくぐり、参道を進むと楼門形式の随神門。
寛政六年(1794)建立の重要文化財らしい。
随神門をくぐると、しっとりとした趣きの境内。
参道はコンクリートで整備されているが、
境内全体は苔むしているので「しっとり」と感じるのだろう。
境内右手に神楽殿があり、正面にコンクリート造の白い拝殿。
拝殿の後方、ブロック塀に囲まれて
国の重要文化財に指定されている桃山時代建立の本殿が鎮座している。
第四十三代元明天皇の御代、和銅年間の創祀。
当時は、甲斐国中は大半が湖水であったといい、
時の国司が巡見し、湖水を引けば良き田となるであろうと
朝廷に奏聞し、許可を得て、
さらに、国造神である大己貴命に祈願して土を起こし
鰍沢口を切り開き、富士川より南海に水を落とすことに成功。
よって湖水の大半が退き、良田となったという。
ひとえに御神徳を賜物と、勅命を以て勧請し、
穴切大明神と称し、国中鎮護の神として崇敬されたのが当社。
明治五年郷社に列した。
『甲斐国社記・寺記』所載の社記由緒には
「黒戸奈神社正一位穴切大明神」と記されており
江戸時代には「黒戸奈神社」とも称していたようだ。
よって、『式内社調査報告』には記載がないのだが
式内黒戸奈神社の論社ではないだろうか。
社殿の右手に幾つかの境内社が祀られている。
社名が掲げられている祠は、塩神社、道祖神、神明社。
この他にも幾つかの小祠がある。
社頭 | 鳥居 |
参道 | 随神門 |
境内 |
拝殿 | 神楽殿 |
本殿屋根 |
本殿屋根 | 神明社 |
塩釜社 | 道祖神社と小祠 |
穴切大神社
人皇四十三代元明天皇和銅年中、当甲斐国未だ湖水なりしが、時の国司国内を巡見して、湖水の跡良田ならんと考へ、朝に奏聞の上、大己貴命に祈願こめて土を起し、多くの人夫を督し鰍沢口を切り開き、水を南海に注がれたるに湖水退きて大半良田となり、民以て食につき、貢物は三倍にも増した。これ人力の克くする処にあらず、御神助によるものなり、と勅命を以て此処に勧請し、崇号を穴切大明神と賜はり、国中鎮護の神と仰ぎ奉る。これにより此の地を治むるもの皆厚く祭祀を執り行ふ。社傳 これによって、此の附近を穴切たんぼと称え、此一帯地名の総称となる。 −『平成祭データ』− |
【 穴切大神社 (甲府市)(印刷用ページ) 】