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藤武神社
ふじたけじんじゃ
山梨県北杜市長坂町中丸1779  Zenrin Data Com Maps display !!


武田菱

式外社 藤武神 三代実録
旧村社

御祭神
建御名方命

山梨県北杜市にある。
中央本線長坂駅の南西、直線で1Kmほどの長坂町中丸に鎮座。
606号線だと2Kmほどの距離にあり、606号線から少し北へ入った場所。

境内入口は南向き。
参拝は四月の後半、鳥居の脇にはまだ桜が咲いていた。
鳥居をくぐると、鬱蒼と樹木の茂った境内。
参道を北上すると、右手に神楽殿、左手に社務所があり、正面に社殿。
拝殿は入母屋造平入りで、後方の本殿は覆屋の中。

社殿の左手から後方に、境内社の石祠が並んでいるが詳細は未確認。

参道の途中、左右に丸いモノが置かれていた、というより埋まっていた。
鳥居の脚部だけ、という感じだが、なんだろう。
昔は鳥居が立っていたんだろうか。

社伝によると、景行天皇四十年、日本武尊東征の時、
この地に至りて、軍旅に携えていた竹の鞭(むち)を埋めて一社を創建したという。
ゆえに、鞭竹神社と称していたが、後世、転訛して藤武と称するようになった。

往古、中丸近郷を城山と称していた頃、建御名方命を勧請した。
一説には、鳥久保に古宮と称する場所があり、
その地から祭神を遷し祀ったとも伝えられている。

『甲斐国社記寺記』には、祭神は事代主命と記され、
光孝天皇仁和元年(885)閏三月二十七日に從五位下を授けられたとあり、
当社は、六国史の『三代実録』記載の藤武神で国史現在社であり、式外の古社であるという。

明治六年村社に列した。

社殿の屋根や社務所の看板に武田菱が付けられていた。
甲斐の国の神社には多い紋なので、当社の神紋かどうかは未確認だが、
とりあえず、掲載しておく。


社頭

鳥居

参道

境内

社殿

扁額

拝殿

本殿覆屋

境内社

神楽殿


【 藤武神社 (北杜市)(印刷用ページ) 】

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