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久志伊奈太伎比咩神社
くしいなだきひめじんじゃ
石川県七尾市飯川町40−56,下町シ−1甲 入会地
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石川県七尾市にある。
徳田駅のすぐ東側、飯川町と下町の入会地に鎮座。
道路に沿って、南北に細長く境内があり、
参道の正面に、南向きの社殿。
本殿は、拝殿の後方に接続された形だが、
社殿の中に、本殿があり、外側の覆屋が拝殿に繋がっているのだろう。
とにかくオープンな境内で、境内のほとんどが参道。
青空の下で、明るいのだ。
創祀年代は不詳。
社伝によると、大己貴命の国土経営の際に鎮座といい、
周囲には、由緒ある地名が散在しているらしい。
崇神天皇の御代に官幣に預り、
醍醐天皇の御代に官社となったという。
飯川郷の惣社にして、飯川・下・白馬・若林の氏神。
明治までは、若宮八幡宮と称し、
祭神も、八幡神が主祭神で、相殿に奇稲田姫命となっていたようだ。
境内社の稲荷神社は、東照宮を相殿に祀り、
もと天領六十二ヶ村の氏神として祀られていたもの。
社殿の前に神馬像があり、その腹部に神紋が刻印されている。
それ自体は、特に珍しいものではないのだが、
ただし、神馬の左側には桜紋、右側には三つ巴と
2種類の紋が付けられていた。
巴は八幡宮としての紋だろうから、久志伊奈太伎比咩神社としては桜なのかな。
参道入口 | 参道 |
社殿 |
境内社・稲荷神社 | 社殿 |
神馬像 参道側に桜紋 | 社殿側に巴紋 |
久志伊奈太伎比咩神社御由緒
創祀の年代は不詳ですが、裏日本開発 の祖神として、また生活の守護神として 奉斎されたと伝えらる 社伝によれば崇神天皇の御代、官幣の 儀あり 醍醐天皇の御代には官社に加列 され、延喜式内の名神社として、朝民の 尊崇篤く、また鎌倉の時代に若宮八幡神 (大鷦鷯命)を勧請し、中世武門の崇敬 も厚く、能登国守護職畠山氏は、累世 崇敬され、次で長連頼は社頭を造営せり 往古より惣社、若宮さんとして廣く 慕われ崇敬せらる 天照大御神は鹿島郡鹿島町蟻ヶ原に 斉明天皇の御代奉斎せし元蟻ヶ原神社 の産土神として崇敬せしが 昭和三十九年閉村に伴い、当神社に 合祀さる −社前案内石碑− |
【 久志伊奈太伎比め神社 久志伊奈太伎比咩神社 (七尾市飯川町下町)(印刷用ページ) 】