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小椋神社
おぐらじんじゃ
滋賀県大津市仰木町4−38−55
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大津市仰木町にある。
奥比叡ドライブウェイの仰木入口の500m手前に鎮座。
道路わきの鳥居から、参道を歩くと、赤い欄干の橋がある。
この天神川を上流へ3Kmほど遡った辺りに、
当社の奥宮である小祠があるらしいが、
今回は参拝していないのだ。
実は、参拝前には、山側に3Kmとしか調べておらず、
奥比叡ドライブウェイにあるものと思い込んでいたのだ。
(実際は違います。)
当社への参拝を終え、ドライブウェイを上って行くと、
突然の濃霧で道路が見えない状況になり、奥宮をあきらめた。
境内に入って正面に拝殿があり、
その奥に、大宮神社・若宮神社が鎮座している。
一見これが本社のように思えるが、
本社は拝殿から左折した西の奥にある。
垣に囲まれて、本社・小椋神社と、左右に今宮神社・新宮神社。
本社以外は、すべて◎宮神社というのが面白い。
中世には田所神社、五社大明神などと呼ばれていた。
大宮神社の位置が正面にある理由はわからないが、
創始の順でいえば、まず大宮神社が鎮座し、
その翌年に、上流の小椋神社(奥宮)が当地へ遷座し里宮となった。
つまり、借家人が主人になったようなものだな。
小椋神社そのものは、天智天皇の御代に、
丹生川上神社上社から勧請されたもの。
「おぐら」の読みは、祭神「くらおかみ」からの訛りだと考えられている。
日吉大社には社内に108社あり、
社外にも108社を指定し、その勢力範囲を示していた。
当社は、その社外108社の1つである。
道路わきの鳥居の横に社号標。
この鳥居からは、想像できないが、境内はかなり広い。
多くの境内社が散在しているらしい。
鳥居 | 参道 |
拝殿の後方には、大宮神社と若宮神社。
比較的新しい社殿だ。
参道正面の2社 若宮神社 稚日女神 延喜2年 ・ 大宮神社 伊邪那美神 天安2年 |
拝殿を左折すると、境内は一段高くなっており、
奥に玉垣に囲まれた社殿。
資料によると社殿の周りに鎌倉時代の珍しい石垣玉垣が残っており、
重要美術品に指定されているらしいが、残念ながら気づかず、写真もない。
拝殿 | 境内 |
境内奥の3社 |
今宮神社 大穴持神 建久元年 | 小椋神社 貞観元年 | 新宮神社 少彦名神 建久元年 |
大津市仰木の里の産土(うぶすな)神小椋神社は、
天安二年(西暦858年)人皇第五十五代文徳天皇の
皇子惟喬(これたか)親王の創祀に依る古社である、
大宮明神と称す(祭神伊弉那美神)続いて翌貞観元年
源融公(嵯峨源氏)が宮川の上流に祀れる闇靇(くらおか)神
を遷し祀る、是即ち小椋神社の創始なり。
−『平成祭データ』− |