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健武山神社
たけぶやまじんじゃ
栃木県那須郡那珂川町健武2302  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 下野國那須郡 健武山神社
旧郷社

御祭神
日本武尊 金山彦命

素盞嗚尊 説 『神社覈録』
大己貴命 金山彦命 説 『神社覈録』

栃木県馬場町健武にある。
那珂川の東、町役場から武茂川の沿って東へ2Kmほど。
道路に面して北側に鎮座。
道路を挟んで、社前を武茂川が流れている場所。

境内は、あまり広くないが木々が鬱蒼とした杜。
境外の陽光と境内の暗さのコントラストと、
その2世界を仕切る鳥居が象徴的だ。

社伝では、創建は大同元年(806)。

続日本後紀承和二年二月戊戌條に、
「下野國武茂神奉從五位下。此神坐沙金之山。」
とある。砂金の取れる山に坐す神だ。

当社の所在地である、武部あるいは健武は、
日本武尊の御名代部である建部であると思われ、
那珂川を遡上してきた大和朝廷の軍事拠点であった。

社名は、現在、「タケブヤマ」「タケブサン」などと呼ばれ、
別名を「武茂山神社」(ムモサン)ともいう。
昔は、「タケムヤマ」「タケフヤマ」など、いろいろ。

当社の特殊神事に、髪焼祭というものがある。
一年中の婦女の髪を集めておいて、境内で焼く儀式らしい。
具体的な意味については、調べていないのだが、
なんだか呪的儀式のような印象だ。
日本武尊は、女性の贄を必要とする神なのだろうか。
あるいは、焼ける臭いに何かの破邪としての意味があるのか。
なんとも興味深い。


社号標

鳥居

参道

境内

拝殿

本殿

社殿

境内社

境内から鳥居

境内

健武山神社(健武さん・健茂さん)
 本社は延喜式内下野十一社の一つで大同元年の 創始といわれています。
 大字健武字武部と天梅の地にあって祭神は 「日本武尊」と「金山彦命」の二社で日本書紀に 「日本武尊白鳥云々……欲録其功名即定武部」と あります。
 また、この地方の産金は「那須のゆりがね」として 昔から和歌にも詠まれ遠く都にもその名が知られて おりました。
 「金山彦命」については、続日本後紀に「承和二年 下野国武茂神に従五位を授け比神採砂金の 山に座すとみえる」。そして水戸斎昭が深く崇敬し 社領十七石を寄進され、毎年の例祭には奉幣紙 が遣されていた。
 境内の古杉老樹、目前の武茂の清流はいにしえの 歴史伝説へと心を誘う景勝の地でもあります。
  〔社殿〕
    本殿(神明造)
    拝殿(神明流造)
    手水舎・神饌所・社務所
  〔祭祀〕
    例祭 四月三日
    祈年祭 二月二十二日
    新嘗祭 十一月二十三日
  〔特殊神事〕
    髪焼祭(婦女髪の焼納)一月十四日夜
    注連縄焼き 一月十五日朝

−境内案内より−



【 健武山神社(印刷用ページ) 】

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