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宇太水分神社 下宮
うだのみくまりじんじゃ しもみや
奈良県宇陀市榛原下井足字水分山635  Zenrin Data Com Maps display !!


五三の桐

式内社 大和國宇陀郡 宇太水分神社 大 月次新嘗
旧県社

御祭神
天水分神 国水分神 天児屋根命 品陀別命

奈良県宇陀市にある。
芳野川沿い、舟形山という細長い丘の上にある。

明治十一年、「神社形式令」により「春日造」から「神明造」へ変更された。
神社形式令」って・・・

創祀年代は不詳。
式内社・宇太水分神社の論社。
宇太水分神社は大和四水分神の一つ。
大和四水分神とは、大和の東西南北に配された以下の水分神
宇太水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社、都祁水分神社。

一説には、古市場には天水分神、当社には国水分神
上芳野には若水分神を祀ったとも。

あるいは、古市場には男神、当社には女神、
上芳野には童神を祀ったとも。

一般には、古市場の社を上宮、当社を下宮と区別しているようだ。


社号標

参道鳥居

参道

境内

金毘羅大権現

石神神社

稲荷神社

宇太水分神社略記
主祭神
 天水分神 (あめのみくまりのかみ)
 国水分神 (くにのみくまりのかみ)
 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
 品陀別命 (ほんだわけのみこと)
末社
 石神神社・稲荷神社・金刀比羅神社
 奈良県宇陀郡榛原町下井足、舟形山に鎮座まします。
 当神社の創祀は、太古の国史「三代実録」 (奈良時代−平安時代に編集された六国史 本)によれば、「貞観元年」(八五九年)九月八日 宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わ し幣(お金や織物等)を奉ったとあるから、そ の由来は実に古く。水分神は「ミクマリ」 と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御神徳 の高い農耕神として、人々の崇拝の対象と されてきたことを物語る。
 延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都 祁、吉野水分と共に大和の四水分の大社と されていたが、応保年間(一一六〇年)頃より 芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・ 芳野社)に祀られている。「延喜式登載」や 「水分由来集」や「神体形相記」によると、 玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水 分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、 かって祭礼には、中山水分から田山水分ま で神輿の御渡があったと、伝えられている。
 明治の始め頃までは、本殿を始め、附属の建 物はすべて古い形式で(春日造)であった が、明治十一年、神社形式令により県社の 指定を受け現在の神明造りになっている。

−境内由緒より−



【 宇太水分神社下宮(印刷用ページ) 】

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