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本牟智和気命 |
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本牟智和気命
ほむちわけのみこと
別名
品牟都和気命:ほむつわけのみこと
誉津別命:ほむつわけのみこと
……
ほむちわけのみこと
別名
品牟都和気命:ほむつわけのみこと
誉津別命:ほむつわけのみこと
……
- 第十一代・垂仁天皇と皇后・沙本毘売(佐波遅比売命、狭穂姫)の御子。
- 垂仁天皇は、沙本毘古王の妹・沙本毘売と結婚されて、本牟智和気命をもうけられた。
- 沙本毘売命の兄・沙本毘古王は、垂仁天皇に対して反乱を起す。
沙本毘売命この時兄を説得できなかったと恥じ、兄が立て籠っている稲城の中で焼死を計った。
- 死の寸前、子の名前は母が付けるものといい、その遺言どおり、皇子は本牟智和気命とされた。
- 本牟智和気命は、鬚は胸まで垂れ、ロもきけなかった。そして空を飛ぶ鵠を見て、「あああ」と声を出すだけであった。
天皇は悲しまれ、山辺之大鶙にその鵠を捕えるように命じられた。
山辺之大鶙は木国・針間国・稲羽国・旦波団・多遅麻国・近淡海国・三野国・尾張国・科野国を経巡ってようやく高志国でこれを捕らえて献上した。
だが、皇子の声は出ず、はじめて唖であることがわかった。
- ある日、垂仁天皇の夢占いに、出雲大社に参詣せよとあり、
霊験はあらたかで、参詣の帰り道、肥河の仮宮にて口がきけるようになった。
- 肥河の檳榔の長穂宮で、本牟智和気命は肥長比売と同衾された。
ところがよく見ると、肥長比売は蛇であったので、本牟智和気命は驚き慌て逃げ帰った。
- 本牟智和気命の口がきけるようになって、天皇は大いに喜ばれ、
鳥取部、鳥甘部、品遅部、大湯坐、若湯坐を定められた。
湯坐部は膳部と同様宮中雑仕の一つで、皇子の養育を司る部である。
- 『日本書紀』では、三十歳になってなお物言わぬ誉津別命が、
鵠を見て物を言い始め、鳥取造の祖天湯河板挙がその鳥を出雲で捕らえ献上し、
誉津別命はその鳥を弄ぴ物言うことができるようになった。そこで湯河板挙を鳥取造とし、鳥取部・鳥養部・譽津部を定めたとある。
- 口がきけない御子は出雲神の祟りであったとか、母神の罪を背負ったという説がある。
【 本牟智和気命:玄松子の祭神記(印刷用ページ) 】
