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大元鵜江神社
おおもとうごうじんじゃ
岡山県小田郡矢掛町東川面1806  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 備中國小田郡 鵜江神社
旧村社

御祭神
吉備津彦命 宇良御玉命
相殿 天之御中主命

岡山県矢掛町にある。
井原鉄道・矢掛駅の西2Kmほどの東川面に鎮座。
美山川と星田川に挟まれた山の麓。

境内入口の鳥居の扁額には「星王宮」と刻まれている。
その鳥居をくぐり、参道を登ると神門。
神門からさらに参道を登ると、割拝殿と思われる建物。
割拝殿をくぐり抜けると境内。

正面に社殿があるが、拝殿の後方に流造の本殿。
ここにも拝殿があるということは、
先ほどの割拝殿は拝殿ではないのかもしれないが。

参拝は、12月30日の午後。
天気の良い、大晦日の前日。

社伝によると、吉備津彦命が昇天し
遺骸を中山の南麓に埋葬する時、
御棺が鳴動して一羽の鵜が飛び出し南方に翔った。
その止ったところを鵜江神社としたのが当社。

つまり、現在、式内社・鵜江神社とされている西川面の鵜江神社
元の鎮座地が当社であるという。

その後、北辰北斗星を祀るようになり、
大元星王宮と改称。
明治四年、社格決定の時、
社号を大元鵜江神社と改め村社に列格した。

鎮座地を「星の峰」と称するらしいが、
天武天皇、壬申の乱に戦勝し
天に祈ったところ、星光が雨のように降り、山中に落ちてきたという。

社殿の左右に、境内社が一つずつ。
左の境内社には鳥居もあり、扁額には「三陰宮」と刻まれている。
右の境内社の名前は確認できなかったが、
『平成祭データ』には、荒神社の名が記されている。

社殿に五七の桐紋が付けられていたが、
これも岡山の神社には多く見られるものなので、
当社の神紋かどうかは不明。


社頭

鳥居

参道

神門

割拝殿

参道上から神門

割拝殿から境内

拝殿

社殿

本殿

拝殿

境内左の境内社

境内右の境内社


【 大元鵜江神社 (矢掛町東川面)(印刷用ページ) 】

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