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天別豊姫神社
あまわけとよひめじんじゃ
広島県福山市神辺町川北142−2  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


剣花菱

式内社 備後國安那郡 天別豊姫神社
旧県社

御祭神
豊玉姫命 速進雄命 事代主神
合祀 吉備津彦命 火之加具土神

広島県福山市にある。
JR神辺駅の東500mほどの黄葉山中腹に境内がある。
313号線の天別豊姫神社前交差点に
境内入口の鳥居が建っており、境内入口は北西向き。

鳥居をくぐると広い境内で、
境内左手に、神池があり、池の島に境内社の祠が二つ。
参道を進むと、もう一つの鳥居があり、
その後方に神門。

神門から階段を上ると、もう一つの門があり
門の左手、階段上に境内社の祠が二つ。

門をくぐって、参道階段をさらに登ると
階段の突き当たりで、参道は左右に分かれ、
右手にいくと、境内社の稲荷神社。
稲荷神社境内には、大きな拝殿と本殿の他に
小さな稲荷社の祠が、ずらっと並んでいる。

参道階段を左手に登ると、境内社があり、
本社の社殿、拝殿と本殿がある。

通称は、天別さん、あるいは豊姫さん。
明治以前は、神辺大明神とも称された神社。

創祀年代は不詳。
当地は、昔、穴海と呼ばれた入海であったといい、
穴海から穴国、穴郡となり、和銅六年より安那郡と記されるようになった。

伝承によると、その穴海の網付谷の荒磯岩上に
海神・豊玉姫命を磯神社として祀ったのが、当社の起源。
その後、網付谷の奥の小中山に遷り
建武年中、備後守朝山次郎左衛門尉景連が
黄葉山に築城した時に、城郭の守護神として、
黄葉山中腹の現在地に遷座したという。

元慶二年(878)従五位上を授与され
国司の崇敬篤く、
式内社・天別豊姫神社に比定されている古社で、
明治二年、神辺大明神から天別豊姫神社の古称に改称された。

参拝は、年末の休日の午後。
境内には西日が差し始めていた。

当社の神紋について、確証はないのだが
社殿前の用水桶に、三つ巴と剣花菱紋が刻まれていた。


境内入口

境内左手、池の祠

境内

鳥居

神門

階段左手、清瀧神社

参道階段と神門

参道階段

境内左手、皇神社他

階段の上に社殿の側面

境内

拝殿

本殿

階段途中にある稲荷神社


【 天別豊姫神社 (神辺町)(印刷用ページ) 】

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