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劔龍神社
けんりゅうじんじゃ
山形県飽海郡遊佐町大字当山字上戸2
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式内社 出羽國飽海郡 小物忌神社 |
山形県遊佐町にある。
遊佐駅の北3Kmほどの当山に鎮座。
当山は、鳥海山の南西麓。
天気が良ければ、鳥海山の全容が望めるかもしれない場所。
ただし、参拝当日は曇天で雲がかかっていた。
駅から345号線を北上し、庄内高瀬川を越えると、
正面に赤い大鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり、まっすぐに参道を進むと、
森の中に入る赤い鳥居。
その鳥居から境内に入るようだが、
鳥居の右手の車道を進むと社殿の右手に出てしまい、
僕は、参道を歩いていない。
境内の中央に、大きな社殿。
拝殿の後方、少し高い位置に本殿が鎮座。
一説には、平城天皇大同元年の創祀。
祭神は、大己貴命。
文政十一年の由緒書きには、
「剣龍山大権現薬師如来は、鳥海一の王子医王尊にて、
牛頭天王の本地仏にて、云々」とあり、
以前は素盞嗚尊と考えられていた。
また、剣龍山小物忌神社とも称したといい、
倉稲魂命を祭神とするという説もある。
よって、式内社・小物忌神社の論社の一つ。
明治までは神仏習合の社で、
本地仏薬師如来、脇立に日光菩薩、月光菩薩を祀っていた。
よって、薬師様と俗称されているらしい。
御神体は、剣一振と奇石二個。
剣は、大同年間に鳥海山より飛んできて、
旧境内に止まったという宝剣。
光格天皇の御代、火災により炎上した時、
剣みずから箱から飛び出して、境内社の中に入り
雲のようなものに包まれていたという。
二個の奇石の由来は不明だが、往古より
宝剣は薬師如来の背後に、奇石は日光・月光菩薩の背後に
安置されているという。
明治三年、劔龍山大権現の称号を劔龍神社と改め、
明治九年二月村社に列し、同十二年九月郷社に昇格した。
境内の右手に境内社が二社。
『平成祭データ』には、相馬神社(天之御中主大神)のみ、
『明治神社誌料』には、白山比咩神社のみ記載されている。
大鳥居 | 鳥居 |
参道から境内 | 境内 |
社殿 | 境内社 |
社殿 |
社殿 | 本殿 |
劔龍神社由緒
当社の社号は往古より劔龍山大権現と称し、口碑に小物忌神社と称せり。鳥海山稲倉嶽の劔龍山小物忌社の御神体の宝劔は余程早き頃飛出たり。劔龍神社の御神体の宝劔はこの小物忌社の霊劔なりと伝う。劔龍山修験者は一山を守り50数代連綿として奉職し現在に至る。宿坊6戸現存す。明治3年劔龍山大権現の称号を劔龍神社と改める。鳥海山麓に高瀬峡あり劔龍神社山伏の修験場なり。 −『平成祭データ』− |