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須波阿湏疑神社
すはあずきじんじゃ
福井県今立郡池田町稲荷12−18

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式内社 越前國今立郡 須波阿須疑神社三座
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福井県の池田町にある。
池田町役場のすぐ南、476号線に面して境内入口がある。
476号線を挟んで向かい側の空き地に、
一里塚の保塁があり、その上に道祖神が祀られている。
一里塚保塁と道祖神の祠 |
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また、ここは旅人の憩いの場や道のり計 算の場であり、駕籠賃や馬子賃、人夫代な どの計算基準とされた所でもある。 池田町内では西角間や柿ケ原などにも造 られていたが、現在はこの社頭一里塚だけ が往時の形を伝えている。
道祖神の祠
現在、保塁の上に祀られている道祖神の
祠は昭和の初めに造営されたもので、池田
惣社須波阿湏疑神社の本殿を模して、五分
の一の大きさで造られているといわれる。−社頭案内板− |
境内入口は西向き。
小さな石橋があり、朱の大きな一之鳥居が建っている。
参道を東へ進むと、稲荷の赤山門とと呼ばれている赤い楼門。
さらに参道を進むと、社殿のある境内。
参道の長さは100m以上あるかもしれない。
二之鳥居をくぐり階段を上ると大きな拝殿。
元禄二年の建立で、池田町の文化財に指定されている。
拝殿の後方にも階段があり、階段上に鳥居が建っていて
その奥に、覆屋根に納まった三間社流造の本殿。
延徳三年の建立で、こちらは旧国宝、国の重要文化財になっている。
参拝は四月終りの連休だったが、
本殿の周囲には雪が解け残っており、
寒いと言うより、キリッとした空気の境内だった。
本殿後方、裏山の中腹に「稲荷の大杉」と呼ばれる御神木がある。
通称は、池田惣社、お稲荷さん。
池田郷四十八ヶ村の惣社として崇敬された神社で、
式内社・須波阿須疑神社三座の論社となっている古社。
倉稻魂命、建御名方命、大野手比賣命の三柱を祀る神社で
「三座」というのだろうか。
「須波」は、諏訪神・建御名方命のこと、
「阿須疑」は、あづき神・大野手比賣命のこと。
であれば、二座なのではないかと思う。
稲荷は地名になったので、社名には反映されていないのか?
社伝によると、
諏訪神・建御名方命は、第二十五代武烈天皇の御代(五世紀)、
池田郷野尻から移り給うたと伝えられている。
野尻鎮座の諏訪神社は「元須波社」と称しているらしい。
あづき神・大野手比賣命は、池田郷の地主神で
小豆生産信仰と深い関係があるという。
一説には、勝戸郷に鎮座していた勝戸神社が印内村に移し祀り、
その後、当社へ合祀されたとも。
勝戸を「しょうと」と読み、小豆「しょうづ」と音が近いという理由で
あづき神としたという。
稲荷神・倉稻魂命は、第四十四代元正天皇の霊亀二年(716)九月七日、
建御名方命と大野手比賣命の託宣によって、
山城国飯盛山から、大杉へ影向かされたと伝えられている。
国司・武将の崇敬が篤く、
延徳三年、一乗谷城主、朝倉貞景公によって社殿が再興され、
天正二年(1574)、一向一揆によって拝殿等は焼失したが
本殿は焼け残ったという。
明治六年には県社に列せられた。
幣殿の幕に、稲紋の神紋が染められている。
稲荷さんなので「稲」を使用し、三座なので三束なのだろう。
よって、当社の神紋は「稲束三束」という。
本殿の右側、大杉への参道が始まる場所に、池田郷御魂社が祀られている。
一般には招魂社と呼ばれる境内社だ。
また、拝殿の後方に境内社の祠が三つ並んでいる。
一番左の境内社には秋葉神社と名前が掲げられていたが
残りの二社は、名前が分からない。
社頭 ![]() | 石橋 ![]() |
一之鳥居 ![]() | 楼門(赤山門) ![]() |
境内 |
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二之鳥居 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿 |
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三間社本殿 ![]() | 本殿覆屋 ![]() |
本殿 ![]() | 池田郷御魂社 ![]() |
稲荷の大杉 |
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秋葉社と不明の境内社 ![]() | もう一つ不明の境内社 ![]() |
当 社 由 緒
−境内案内板− |
