![]() |
|
|
宇爾櫻神社
うにさくらじんじゃ
三重県多気郡明和町有爾中679

|
|
式内社 伊勢國多氣郡 宇尓櫻神社 |
三重県の明和町にある。
近鉄山田線斎宮駅の南2Kmほどの有爾中(うになか)に鎮座。
37号線と530号線が交差する有爾中交差点から南西へ入った場所。
ゴルフ場の北側にある丘の上に境内がある。
境内入口は東向き。当社には参道が二つ10mほど離れて平行にあり、
境内に向って左手の参道を上ると境内の左端に出るが、
右手の参道入口には「延喜式内宇爾桜神社」と刻まれた社号標があり、
参道を上ると社殿正面に出るので、右手が表参道なのかもしれない。
ということで鬱蒼と茂る木々の表参道を上ると丘の上に広い境内。
境内右手に祓所や神宮遥拝所があり、参道正面に当社社殿。
社殿の左手に境内社の桜宮と豊玉姫命を祀る祠がある。
拝殿は瓦葺平入で前に木製の鳥居が立っている。
拝殿の後方に、少し離れて垣に囲まれた神明造の本殿がある。
参拝は三月中旬の午前。まだ少し寒い時期。
社名から、桜の季節には美しい境内なのだろうと想像しながらの参拝。
樹に詳しくないので、境内に桜の木があるかどうかは確認していないが。
創祀年代は不詳だが、
式内社・宇尓櫻神社に比定されている古社。
平安時代には神宮の祈年祭や新嘗祭に預かり、
座別祭料として絹、木綿、麻、庸布、楯、鰒などが供進されていた。
江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮、あるいは櫻社と呼ばれていたが、
田圃に接して神域を穢すおそれがあるとして、
明治六年八月十五日に現在の合戦田の地に遷座。
当地に祀られていた天王社を合祀して櫻神社と改称。
『神社検録』では、
天王社の鎮座していた現在地を式内社・宇尓櫻神社の古跡とする説があるらしい。
明治十五年七月二十八日に有爾中村蓑村に遷された
度会郡世古村の八柱神社の分霊を九月二十六日に合祀して村社に列し、
明治四十年六月三十日、上野の村社仲神社、無格社森本神社、
新茶屋の村社八柱神社、境内社火除神社の五社を合祀。
明治四十四年五月二十二日、宇爾櫻神社と改称した。
なお合祀された仲神社は、昭和二十年古社地に分祀されている。
当社例祭には、宝暦年間(1751〜1764)発祥といわれる
天王祭とも呼ばれる羯鼓踊りが奉納される。
『式内社調査報告』によると、
宇仁村(現在の有爾中村)の宇田という地にあった小清水社を
式内社・大海田水代大刀自神社とする説があり、
明治三十五年の「無格社大海田水代大刀自神社御由緒」には、
その小清水社は櫻神社(当社)境内に権現社として祀られているとあるらしい。
残念ながら権現社は見当たらなかったが、『勢国見聞集』『伊勢国式社纂記』には、
大海田水代大刀自神社の祭神は豊玉姫命とあり、豊玉姫命を祀る祠が権現社なのだろうか。
「海田」「刀自」から海神の女神ということだろうか。
参拝時に当社の神紋は確認できなかった。
『三重県神社誌』にも神紋は不詳と記されている。
社域 |
![]() |
左側参道の鳥居 ![]() | 参道階段 ![]() |
右側参道の鳥居 ![]() | 社号標 ![]() |
境内 |
![]() |
拝殿 ![]() | 本殿 ![]() |
桜宮 ![]() | 豊玉姫社 ![]() |
神宮遥拝所 ![]() | 祓所 ![]() |
