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滓上神社
かすかみじんじゃ
石川県小松市中海町リ−2

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式内社 加賀國能美郡 滓上神社 |
石川県小松市にある。
JR北陸本線小松駅の東に6Kmほどの中海町に鎮座。
小松駅から360号線を東へ進み、
梯川に滓上川が合流するあたりで南下すると
中海町集落の南の高台の上に境内がある。
境内入口は北向きなので、昼の参拝では太陽に向かう形。
鳥居を撮影していると太陽光がレンズに入って光が写る。
鳥居をくぐり階段を上ると境内。
入母屋造の拝殿はガラスで覆われているが、
拝殿後方の本殿は木で覆われていた。
拝殿前に神馬像があり十六菊の神紋が付けられている。
社殿の左右に境内社が一つずつ。
右の境内社には鳥居があり、扁額に「合祀社」。
左の境内社の名前は確認できなかったが
『石川県神社誌』には神明社の名が載っている。
創祀年代は不詳。
一説には大宝年間であるという。
式内社・滓上神社に比定される古社。
明治十七年の洪水によって被害を受け
明治二十二年、無格社八幡神社と合併し、
元社地から南200mの高台(現社地)で遷座。
『石川県能美郡誌』には遷座の理由として
民家が増加し、社地が狭小であったからとも記されている。
また『特選神名帳』には、明治の初めの状態として
「旧記棟札等なく、古き社号帳にも載ず、
社地のさま狭小にて式社の体にあらず」と荒廃の様が記されている。
明治初年に村社に列し、昭和十七年郷社に昇格。
鳥居 ![]() | 階段上にも鳥居 ![]() |
境内 |
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本殿横から ![]() | 拝殿 ![]() |
社殿左の神明社? ![]() | 社殿右の合祀社 ![]() |
当社の南南東2Kmほどの場所に、当社の奥ノ宮があり、
樹齢千年を越える柏槙の神木があって、
小松市文化財に指定されている。
一説には、その奥ノ宮の地が、当社の創祀された地であるという。
ということなので、奥ノ宮へ向かったが
参道入口にクサリが張られ、車が入れないようになっていた。
歩いて行こうかと、クサリを越えたが、
熊が出没するという警告板を見てやめた。
熊除けの準備をしておけば良かった、と後悔した。
奥ノ宮由緒石碑と社号標 ![]() | 参道入口 ![]() | 熊に注意 ![]() |
中海町の神社の由来
−社頭由緒石碑− 延喜式.式内社滓上神社の由緒 当社の創祀遼遠大寶二年四月の創建で上古よりの旧社にて、旧由緒書によれば垂仁天皇の皇子五十日帯彦命が高志道越の国の中(現神地所在地)に下向あり、越前を経て当地に幾星霜駐留あらせられ、大いに教化を布き稼穡を勧め給いしにより、民庶靡然として王徳の高大に感じ、守護神として古から遠近より祈願する崇敬者多く、之を以て醍醐天皇の延長五年延喜式の神名帳に登載され能美郡式内社八座の一となり、新年奉幣の儀あり、国司国守の祈願あり、嘉祥三年正六位を授けられる、元慶元年幣帛に預り、永保六年正四位に進み、昭和十七年社格郷社に列せられた。 当地では昔より郷神様と申す通稱あるは高志道越の国の中の地域を輕海の郷と稱する地域で郷の守護神とも伺へる。 −『平成祭データ』− |
